被害者のいる事件に、自分はこんなにも心惹かれていいのだろうか?
真魚 好きでたくさん見てはいるものの、実録犯罪映画には、少なからず問題もあるとは思っていて。モデルとなった事件に惹かれる人がいるから、映画は作られるし、ヒットもする。社会問題を扱っていることで、世のなか的にも評価される。ただ、実際に被害者のいる事件に、自分はこんなにも心惹かれていいのだろうか? という戸惑いもある。これは、作り手も観客も同様だと思います。
宇多丸 実録映画って、ヒッチコックの『裏窓』(1954年)じゃないですが、覗き見根性の発露というか、人間の下劣なところが出てしまうものでもある。映画ではありませんが、そうした問題意識で描かれているのが、『ウォッチメン』(2009年)の原作を担当したアラン・ムーアのグラフィック・ノベル『フロム・ヘル』(イラスト:エディ・キャンベル、訳:柳下毅一郎、みすず書房)です。
これは「切り裂きジャック事件」を陰謀論的に組み立てた物語なんですが、ちょっとおまけ的に、事件に踊らされる人々――つまり我々のような大衆をちょっとネタ的に見るパートがあるんです。人が現実に死んでる事件を“作品”として消費することで、実際に殺された女性たちは何千回、何万回と繰り返し凌辱を受けている。その意味において、我々も犯人と共犯である、と。その主張を踏まえて本編を読むと、この作品は被害者女性たちに対するムーアなりの鎮魂なんだということがわかって、すごく感動的であると同時に、自分も襟を正さないと、という気持ちにさせられます。
「怖いもの見たさ」でしか知り得ない現実がある
――ダークツーリズム的なものとも通ずる話ですね。災害被災跡地や戦争跡地、事件現場など、負の歴史を持った土地をめぐる観光は、確かに過去を継承するという意味では意義があることではありますが、そこに怖いもの見たさや、野次馬根性がゼロかといえば……。
宇多丸 これは本当に難しい問題です。でも、映画はそもそもそういう存在でもあるんですよね。「残酷な事件だが、我々は生きていく上で、このことを忘れてはいけない」みたいなお題目を用意することで、娯楽として成立させてしまう。一方で、スティーヴン・スピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』(1998年)のように、凄まじい残虐描写をやり切ったからこそ、反戦というテーマが際立った作品もある。でも、そこには同時に、スピルバーグの狂気も絶対に入ってるはずだし……。
真魚 線引きがしづらいというか、もう表裏一体なんですよね。
宇多丸 ホロコーストの恐怖みたいなものだって、僕たちのような戦争を知らない世代は、怖いもの見たさでしか知り得なかったところもある。スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』(1993年)を「歴史を知るべきだ!」みたいな真面目な気持ち“だけ”で見ていたと言ったら、それはやはり嘘になりますからね。クロード・ランズマン監督の『ショア』(1985年)のような作品がいきなり入り口になるほど、最初から意識が高いわけでもないし。決して胸を張れるようなことではありませんが、せめて「人間というのは、そういう下劣な面のある生き物なんですよ」ということは、忘れないようにしたいものです。