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宇多丸×真魚八重子 「俺を指差すな!」と思ってしまう恐怖の「実録犯罪映画」

オススメの「実録犯罪映画」対談#2

2017/11/26
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『接吻』はある種のファム・ファタールもの

真魚 附属池田小事件を題材にした映画には、万田邦敏監督の『接吻』(2008年)という作品もあります。こちらは、犯人と獄中結婚する女性目線で事件を描いています。女性を演じるのは小池栄子、犯人は豊川悦司、彼女と犯人の間に立つ弁護士が仲村トオル。

宇多丸 小池栄子の演技が本当に素晴らしい!

 

真魚 犯罪者に恋をしてしまう人には、まわりに溶け込むことができないタイプが多いと思います。孤独な自分を、同じく孤独な犯罪者なら理解してくれるのではないか――そんなふうに考えるのでは。私もこの映画の小池栄子みたいに、会社の給湯室でお喋りしたりできるタイプではなかったので、彼女の気持ちがちょっとわかるんですよね。もっとも、特殊なところに走る心理状態までにはグラデーションがあるので、実際に殺人犯に結婚を申し込んだりするような極端なケースは稀でしょう。でも、彼女が自分とそう遠くないところにいるということは、よくわかる。

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宇多丸 男である僕は、この映画を仲村トオルの視点で見てしまって「お前は、なんて報われぬところに行ってしまったんだ……」と辛い気持ちになりました。だんだん小池栄子に想いを寄せるようになるものの、それは絶対に叶わない恋なんですよね。また、彼の一本気な感じがすごく良くて。しかも最後の最後に、もう絶対に逃げられなくなるような刻印を押されちゃう。ああ、切ない!

真魚 ある種のファム・ファタールものですよね。意識せずに善人を恋心で巻き込んでしまう。他にも殺人鬼に惹かれてヒーロー視してしまう人もいて、『八つ墓村』(1977年)における大量殺戮の元ネタ「津山30人殺し」こと津山事件の犯人・都井睦雄は強烈な印象を残しました。この事件は、近年だと1999年にアメリカで起こった「コロンバイン高校銃乱射事件」に近い。みんなからハブられて、その恨みが溜まりに溜まって爆発してしまった。

宇多丸 社会への恨みは、殺戮に至る理由として、もはや時代を超えた大定番です。

真魚 普遍的であるからこそ、時に鬱屈した観客たちの共感も生むし、繰り返し似たような事件が映画のモチーフにされるのでしょう。

宇多丸 観客は、彼らの、いわば逆切れ根性に思い入れるわけですよね。例えば、ロバート・デ・ニーロのモヒカンルックでおなじみ『タクシードライバー』(1976年)は、実録ものではありませんが、まさにそんな鬱屈した人々の琴線に触れまくった作品です。あ、またスコセッシ! 今回の対談の裏テーマは、スコセッシかもしれない(笑)。

「俺を指差すな!」と思ってしまう「指差し映画」

真魚 スコセッシは当時から、そうした行き場のない怒りを持つ人々の存在をちゃんと認識していたのでしょうね。

宇多丸 津山事件といえば、田中登監督の『丑三つの村』(1983年)はいかがでした?

真魚 あっちはもっと下世話で……。昼のワイドショーとか、女性週刊誌みたいな感じ(笑)。お色気要素もあるし。

宇多丸 僕、あの映画の公開時はまだ中学生くらいだったので、リアルタイムでは見ていないんですよ。成人指定だったし。でも映画雑誌に、ショットガンを女の人に咥えさせているスチール写真が載っていて、子どもながらに「うわ、なんて悪趣味な!」とショックを受けました。

 

真魚 思いっきりポルノ的な暗喩。じゃあ、その意味するところが宇多丸少年にはわかっちゃったんですね。

宇多丸 ただ、僕は当時からガンマニアでもあったので、複雑な気持ちだったなぁ。要は、性的な不能感の代償行為というか、銃というものを男根のメタファーとして使っているんだな、ということが即座に理解できてしまう程度には、自分の中にも同じような歪んだマチズモが息づいている、ということだから……。実は自分は、この主人公と大差ないような、かなりキワキワなところにいるのではないか、と。映画が「これはお前のことだぞ」と指を差してくるような恐怖があった。こういう「俺を指差すな!」と思ってしまう映画を、僕は「指差し映画」と呼んでいます(笑)。

写真=山元茂樹/文藝春秋
#3に続きます)

宇多丸×真魚八重子 「俺を指差すな!」と思ってしまう恐怖の「実録犯罪映画」

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