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「正直すみません、無理です」森喜朗氏の退任後、東京2020組織委員会で起きていたこと

來田享子教授と振り返る「東京五輪問題」#2

2021/11/14
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――勝つことだけが価値なら、もうオリンピックじゃなくていいじゃないかって話ですよね。

「人間というのは残念でね。目の前に勝利がぶら下がると、こうあるべきと思っていても忘れちゃうんですよね。そこからもう一歩上の人間になっていくためにスポーツは格好の『欲望と闘う装置』なんだと。人間のある種の悲しさを抱えながら、それでもやっぱり理想的なあり方を目指そうよと、そういう場所としてオリンピックが続くのであれば意義もあるのだけど」

ただのスポーツイベントなら、それはオリンピックではない

――変えられるのでしょうか。

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「とにかくオリンピックは今の状態では巨大すぎて身動きとれないですね。メディアの放映権料で8、9割の収入を得ている状況で、そこを手放さずに回していくのはおそらく難しい。ただIOCは『アジェンダ2020プラス5』に、放映権料に頼らないオリンピック・ムーブメントの財源確保をしなければならないと書いています」

――そうなんですか。変えようとはしているんですね。

「そう、何か戦略は考えていくと思います。世の中の理想を追い、達成するために資金を投じようという人たちがオリンピックを支える形で続くのであれば、一定の意義があると思います」

――東京2020はなにかしら今後のオリンピックへのターニング・ポイントになったのかな。

「なりました? 長野さん(笑)」

――子供の頃からオリンピックはただ楽しみにしていたイベントで、こんなに複雑な感情を抱いてどうなの?と思ったのは初めてなので思考のきっかけにはなったのかなと。

「やはり自国開催というのは、一定の意味があるんですよね。たぶん他の国でやっていたら、こんな議論になっていなかったと思う」

©JMPA

――そうだと思います。

「自分に見えない人の立場にたって社会のことを考えるきっかけは、コロナ禍で開催したからこそ得た理念のひとつだと思います。トランスジェンダーの選手が参加してもよいという話にしても、オリンピックだからこそ議論できた。また、人権侵害がこの国では許されがちだったんだと気づくなども、オリンピックを開催したからこそでした」

――そういう気づきこそがオリンピックの意義なんですね。

「そうそう。理想を追求するとはそういうことだから。ただのスポーツイベントとして見る人しかいないのなら、それはオリンピックではないんです。理念を捨てたスポーツイベントならもういいんですよ、やらなくて。やらなくていい(笑)」

◆◆◆

注・取材後に、IOCはメダルランキングの作成に関するオリンピック憲章を改正し、“競技結果の表示は、情報提供を目的として、IOCによって、もしくはIOCの承認を得て組織委員会によって作成することができる。”という内容に変化した(2021年8月8日付)。その一方で、”大会は個人またはチームでの選手間の競技であり、国家間の競争ではない”とする文章は残されている。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

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