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 しかし、日々、時間が削られていく感覚があった。中間管理職なのだから仕方がないが、記事を書く機会は格段に減ってしまった。求められたのは、一次情報、人事などの決定事項を他紙に先んじていかに早く出すか。

 落合番の8年間は、落合さんの言動や采配を取材し、書いていれば良かった。顧みるに、新聞記者としては幸せな時間だったということになる。

二度目の“特オチ”が辞職の引き金

 新聞社を辞めようと思ったのはこの年だ。二度目の“特オチ”が直接の引き金だった。

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 コンビニで競合スポーツ紙のニュースをチェックし始めたある朝、自分でも血の気が引いていくのが分かった。

「和田監督来季白紙」「金本氏待望論」

 あれはレギュラー・シーズンも終盤に差し掛かった頃だったと思う。この時期の和田阪神は、なかなか思うような結果を残せずにいた。そんなある日、後輩記者から球団社長の動きが怪しい、という報告が上がってきた。

 大阪にいた私は、球団社長のいるという新神戸のホテルへ張り込みに急いだ。張り込んでしばらくすると、エレベーターからオーナーが降りてきた。そうか、球団社長はオーナーと密会していたのか……。

 阪神の球団事務所は兵庫県東部の西宮、そのオーナー企業である阪神電鉄の本社は大阪の野田にある。そういう地理的状況を考えると、西宮、野田からもいくぶん離れたこの新神戸の、しかもホテルで、球団社長とオーナーが密会したとなれば、二人は重要な話――監督人事について話していた可能性が高いと考えて良かった。

 その後、時間差で球団社長が降りてきた。

 私は球団社長のもとへ向かった。

「なんでこんなところにおるんや」と彼はひどく驚き、観念したように言った。「みんな、金本にしろって言うんや。でもな、チームはまだ戦ってる。順序ってもんがあるやろ。オーナーとはそういう話をしたんだよ」

金本知憲氏 ©文藝春秋

 本来であればそこで、「和田解任、金本最有力」とスクープを打つべきだったのだ。球団社長も新聞記者の自分に対して、オーナーと監督人事について話し、「金本」という名前が出ていたことまで認めている。それはすなわち、書いてもいいというメッセージだったはずだ。

 話を聞いて私は、その情報を寝かせる判断をした。ニュースを出すのは、阪神に優勝の可能性が完全になくなった時でいいと思ったのだ。監督人事はまだ、誰を後任にするのかまでは進展していないと当時の私は結論づけた。

 私は決定的に鈍い新聞記者だった。

©文藝春秋/釜谷洋史

(取材、構成:第二文藝編集部)

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