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「フリーになるためらいがなかったのは、落合博満さんを間近に見ていたから」 『嫌われた監督』の手ごたえとなった“清原和博”の特集記事

鈴木忠平さんインタビュー#2

2021/11/15

source : 文藝出版局

genre : エンタメ, スポーツ, 読書, 働き方

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 決定事項の他にはほとんど書くスペースのない新聞紙面では、どれも価値のない些細な出来事だけれど、そうしたことこそが自分にはとても面白いことのように感じていたからだった。『嫌われた監督』は、それら、当時メモしていたディテールを土台に書かれている。

“読み物”を書きたいという思い

 そういう、自分が面白いと思うものの集積を、記事として初めて形に出来たのが、2011年3月の「Number」の特集「名将の言葉学。」でのことだった。記事は、浅尾拓也さん、荒木雅博さん、谷繁元信さん、和田一浩さんの4名にインタビューして執筆した。

「オレ流で説いた“理”」というのが記事のタイトルだった。選手たちが落合さんからもらった言葉と前後のエピソードを軸に4ページの記事を書いた。最後に、落合が選手に投げかける、「情」ではなく、「理」の言葉、その前後に横たわる「沈黙」。これこそが落合博満の「言葉の力」である、と綴った。

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 書き終えて、自分はずっとこういう“読み物”が書きたかったのだ、と思った。

©文藝春秋/釜谷洋史

 Number編集部に在籍した期間のなかで、記憶に残る特集や記事はいくつもある。

 なかでも、高校時代の清原和博さんを表紙にした、2016年夏の特集「甲子園最強打者伝説。」は思い出深い。甲子園で清原さんにホームランを打たれた10人の投手に取材し、「清原和博」という人物を掘り下げていった。反響は大きかった。特集は『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』という形で書籍化もされた。また、特集が縁となって、執行猶予中の清原さんが、自らを振り返った独白集『清原和博 告白』『薬物依存症』という本にも繋がっていった。

引退セレモニーでの清原氏 ©文藝春秋

 “読み物”を書きたいという、転職当初の思いは遂げられた。しかし、時が経つにつれて自分の書く原稿に次第に飽き始めるようになっていた。

 4ページの記事の中に、パターンをいつしか当てはめながら書いていくようになっていた。書く前から最後の結論が見えてしまう。その分かり切った結論に向けて書いてしまっている、というような気がしていた。

フリーへ転身、『嫌われた監督』の執筆へ

 2019年に3年間在籍した編集部からは籍を抜き、フリーのライターになった。

 フリーになってすぐ、ある文藝編集者と知り合った。その編集者から送られた本の1冊に、村上春樹さんの『シドニー!』があった。

 シドニー・オリンピックについてのエッセイ集なのだが、その冒頭に「1996年7月28日アトランタ」という短篇ノンフィクションが収録されている。アトランタ・オリンピックでの女子マラソンに材を取ったもので、この大会で銅メダルに輝いた有森裕子さんの視点でレースが描かれている。レースの様子や、有森さんの感情がダイレクトに伝わってくる書き方で、こんな風にスポーツを描くことができるのか、と驚いた。それまで、自分が「Number」で書いてきたものとは全く違うアプローチだった。

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