『ミカエルの鼓動』(柚月裕子 著)文藝春秋

 ひと昔前、医学領域をテーマにした時期があって、心臓外科の手術場もよく訪れた。外科医の人となりはそれぞれであったが、なにか大きなものを感じさせる人がいた。眼下、横たわる患者の生死を直に引き受ける。それが人の器量を養うのか……とも思えた。

 医学ミステリー『ミカエルの鼓動』を読みつつ、折々、かつて目にした情景がちらついた。

 主人公は、北中大(ほくちゅうだい)病院・循環器第二外科科長(教授)の西條泰己(さいじょうやすみ)。手術支援ロボット「ミカエル」の使い手で、病院の看板医師だ。やり手の病院長・曾我部一夫の信頼も厚い。

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 西條は北海道の寒村の出身。少年期、父が心臓病で亡くなるが、後に貧困が再手術の途を閉ざしたことを知る。そのことが「命の前では誰もが平等だ」という信念を育んだ。名医となったが、家庭は冷え、孤高を好む。翳りある人物像が、本書の趣を深めている。

 曾我部の招聘(しょうへい)で、ドイツ帰りの真木一義が第一外科科長(特任教授)に就任する。長く日本から消えていた医師だった。名人芸の手術を披露するが、協調性はまるでない。彼もまた何事かを抱えている。

 そもそも循環器外科に二枚の看板は不要だ。二股膏薬を貼る曾我部の思惑はなんなのか。

 先天性疾患が完治せず、弁の再手術を余儀なくされる少年が再入院してくる。西條はミカエルを使った人工弁置換を、真木は再度の弁形成術を主張して譲らない。折しも、他大学でミカエルの不調が生じ、担当医が自殺、フリーのライターが調べはじめていた……。

 物語の途中からぐいぐい引き込まれた。クライマックスの一つは、弁手術のシーンである。術者の西條はあえて、前立ちの助手を真木に頼む。万一のさい、真木の技量で事態を切り抜けようとしたのである。真木はこれを受けた。二人は対立しつつ互いの技量を認め合っていた。

 術中に訪れた危機に、二人の執刀医が懸命の策を施す。心臓の拍動の再開を待つが、痙攣したままだ。心筋が自力で再拍動する、厳粛なる瞬間が訪れてくれるのか……。描写はなかなかの迫真に満ちている。

 やがて、ミカエルを巡る問題点が表面化し、メーカーや病院の経営戦略は揺らぎ、事件となって人々を巻き込んでいく。

 ラスト、西條はなすべきことをなして病院を去るさい、真木と出くわす。

《「あとを頼む」……

「いつ、戻る」》

 短い、それでいて思いが込められた会話である。

 西條は道内の高峰・旭岳で吹雪に巻き込まれるが、自身、罪を免れ得ないことを知っていた。再び医の世界に立ち戻れるのか――。

 文体は歯切れよく、読みやすい。登場人物の内面描写もストーリーの展開にも不自然さがない。上質の楽しめる医学ミステリーとして、また人の生き方に触れる物語として読んだ。

ゆづきゆうこ/1968年、岩手県生まれ。2008年「臨床真理」で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞してデビュー。13年『検事の本懐』で大藪春彦賞、16年『孤狼の血』で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。
 

ごとうまさはる/1946年、京都府生まれ。ノンフィクション作家。近著に『天人』『奇蹟の画家』『拗ね者たらん』など。

ミカエルの鼓動

柚月 裕子

文藝春秋

2021年10月7日 発売