『灼熱』(葉真中顕 著)新潮社

 社会的なテーマを織り込んだ重厚なミステリを発表している葉真中顕の新作は、ブラジルの日本人移民が太平洋戦争の敗戦を否定する戦勝派と現実を受け入れた認識派に分裂し、抗争を繰り広げた史実を題材にしている。著者は、先の大戦末期の北海道で和人の父とアイヌの母を持つ特高刑事が陰謀に挑む『凍てつく太陽』で、差別問題や国家、民族とは何かに切り込んでおり、本書はその主題を継承発展させたといえる。

 沖縄で生まれた比嘉勇は、1934年、12歳の時に移民する父の従弟夫婦の養子になりブラジルへ渡った。都市部から離れた弥栄(いやさか)村に落ち着いた勇は、大規模農家を経営する南雲家の息子で、「村一番の男」と呼ばれるトキオと出会う。勇とトキオが柔道などを通して親友になる前半は、青春小説のような爽やかさがある。

 日本から多くの移民を受け入れたブラジルでは排日運動が激化しており、日米が開戦しブラジルが連合国側になると、その動きに拍車がかかる。不安定な立場を危惧しながらも日本の勝利に貢献したいと考える移民たちは、敵国を利する作物を作っている農家への攻撃を始めた。勇は南雲家の襲撃に参加し、事件を機に村を離れサンパウロに出たトキオと別れてしまう。

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 やがて日本は、連合国に敗北する。だが、元軍人で弥栄村の有力者であった瀬良は、日本が勝利して終戦したと宣言。勇ら村人も瀬良の言葉を信じ、愛国団体に参加する。一方、情報と有識者が多い大都市で暮らすトキオは、日本の敗北を理解していた。敗戦を認めて欲しい認識派と国賊の認識派を敵視する戦勝派に分かれたトキオと勇は、抗争に巻き込まれていく。

 本書は戦前からの移民の歴史をたどり、ブラジルで差別を受けたことで目覚めた強烈な日本への愛国心、自分だけが特別な情報を知っているという優越感、格差の広がりによる富裕層、支配層への反発などが、日本が戦争に勝ったというフェイクニュースが支持を集めた土壌になったことを明らかにする。これは現代社会で、フェイクや陰謀論が広まるメカニズムと同じである。昭和天皇とマッカーサーが会見した有名な写真を使って日本が敗けたと説得するトキオら認識派に対し、勇がこれはマッカーサーが天皇に謝罪に来たのだと心の中で思う場面は、フェイクへの反論が、どれほど難しいのかをまざまざと見せつけていた。

 ネットは社会の分断を加速させるフェイクの温床になっているが、これは検索サイトがユーザーが見たくない情報を遮断するフィルターバブルや、閉鎖的なSNSなどで思想が増幅されるエコーチェンバーといった機能があるからとされる。この状況をアナログの世界で半世紀以上前に経験した勇の苦悩は、現代人も愛する家族や友人と決別する危険性に直面している現実と、それを回避するヒントを示しているのである。

はまなかあき/1976年東京都生まれ。2013年『ロスト・ケア』で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞してデビュー。2019年『凍てつく太陽』で大藪春彦賞、日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞。他の作品に『Blue』など。
 

すえくによしみ/1968年生まれ。文芸評論家。著書に『時代小説で読む日本史』など。全集やアンソロジーの編著も多く手掛ける。

灼熱

葉真中 顕

新潮社

2021年9月24日 発売