山岳地帯で共同生活を送る8人の少年少女。「モノス」と呼ばれる彼らは「組織」の指示のもと、ゲリラ兵として特訓を受け、人質のアメリカ人女性を監視している。だがある任務に失敗したことで集団の均衡が崩れ、やがて彼らは混沌の世界へと足を踏み入れていく。

 驚異的な映像美と共に紡がれる若きゲリラ兵たちの狂気の物語。『MONOS 猿と呼ばれし者たち』(10月30日公開)を監督したのはブラジル生まれのアレハンドロ・ランデス。コロンビア人の母とエクアドル人の父の間に生まれたランデス監督は、コロンビア内戦に着想を得てこの映画を企画。ただし場所や時間は特定せず、物語はあくまで架空のものだ。

 これほど大胆で得体の知れない映画がどのようにつくられたのか、世界中で絶賛された若き鬼才に話をうかがった。

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©Stela Cine, Campo, Lemming Film, Pandora, SnowGlobe, Film i Väst, Pando & Mutante Cine

戦争の性質そのものを描いている

――この映画はコロンビアの内戦を下敷きにしたそうですが、映画自体は、特定の時代や場所を想起させない、架空の物語としてつくられています。その理由をまず聞かせてください。

アレハンドロ・ランデス コロンビアの内戦はすでに50年以上続き、その状況は今も刻一刻と変化しています。そのような状態では内戦を正しく描くことはできません。僕は現状をより抽象的な形で描くことで、過去を照らし未来に光を届けることができればと考えたのです。

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 この物語は、戦争の性質そのものを描いています。コロンビアに限らず、アフガニスタンやミャンマー、シリアをはじめ今世界中で起きている紛争はどれも非常に雑多で混沌としています。そこには国境すらない。コロンビアの内戦を例に見てみましょう。政府軍はアメリカ軍やイスラエル軍によってトレーニングされた軍であり、対する民兵軍やゲリラ組織はベトコンやIRAに訓練された人たちだったりします。第一次世界大戦、第二次世界大戦の頃とは違い、現代の戦争は、物質的にも思想的にもあらゆるものの坩堝と化しボーダーレスになっている。それが戦争の性であり人間の性でもあるのでしょう。

――兵士たちはみなドッグ、ウルフ、ビッグフット、ランボーなど不思議な呼び名をつけられています。登場人物たちの詳しい情報や背景を描かなかったのも、普遍的な戦争の性質を描くためだったのでしょうか。

アレハンドロ・ランデス そのとおりです。人は往々にして名前や性別、思想といった情報で他人を特定しようとしますが、この映画ではそうした判断材料は一切存在しません。兵士たちの本名は明かされず性別も不明です。組織が右派なのか左派なのか、彼らはなぜ兵士になったのかもわからない。全てを曖昧にすることでキャラクターの中の人間性を炙り出したかった。彼らをただそのままに見つめその人間性を直に感じてもらいたかったのです。