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「岸田はものごとを仕切ろうとすることは絶対になかった。それでも話を振るとしっかりとした考えを口にするんだよね。『岸田どう?』と聞くとビシっと言うので、その方向に物事が決まるケースが多かった」

 林は岸田の自宅を訪ねたことがあった。

「父親(文武、のちに衆院議員)が官僚で、祖父(正記)が政治家なんてことは一切言わない。学校の誰も知らなかったんじゃないかな。あんまり特別視されたくないと思ったのか、あるいは敢えて言うものではないと考えていたのか。自分の口からは言わない男でした」

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 同じく同級生で京都大教授の三ケ田均は、岸田の印象を「がり勉タイプだった」と語る。それだけに浪人したのは意外だったという。

「長銀に入行したと聞いたとき、なんてぴったりな職業だろうと思いました。さすが自分を自分でわかっているなと。真面目一徹で堅実に物事をこなしていく。でも、今年の総裁選では真面目さに加えて力強さを感じた。リーダーシップを身につけた印象です。昔は全然そんな感じではなかったので。立場が人を変えるということなのかもしれません」

 開成の開校は1871(明治4)年。共立学校という校名で、当初から東京大の前身の一つである旧制第一高等中学校(後の旧制一高)への進学に力を入れていた(『開成学園九十年史』より)。

開成高校 ©文藝春秋

 戦後、新制高校になってから、1960年代まで東大合格者数は、日比谷、西、新宿、戸山など都立の進学校に押されていたが、1970年代に入ると、灘高校とトップ争いを繰り広げるようになる。

東大合格者数は40年連続でトップ

 そして1977年、開成は東大合格者数で初めて全国一に。

 主な要因は、学校群制度導入による志望者数の増加、校舎前に西日暮里駅が開業するなど鉄道網が整備されたこと、そして高校からの入学定員の増加である。

 77年以来、開成は、毎年100人以上を送り出し、82年から2021年まで40年連続トップの座を守り続ける。

 また同校は、官僚機構と親和性が高く、これまで1000人以上の卒業生が霞が関の門をたたき、数多くの次官が誕生した。財務省事務次官は、武藤敏郎(1962年)、前出の丹呉、香川俊介(1975年)など大物の名前がずらりと並ぶ。近年では元経産次官の嶋田、元厚労次官の樽見英樹(1978年)、環境次官の中井徳太郎(1981年)などもOBだ。

嶋田隆氏 ©共同通信社

 永霞会の事務局長である衆議院議員の井上信治(1988年)によれば、開成OBの国家公務員は現在、600人にのぼり、事務次官級が10人近くいるという。開成出身の国会議員は9人いるが(10月29日現在)、そのうち6人が官僚出身だ。

 霞が関で働くOBが多い理由を、学習院大教授の福元健太郎(1991年)が分析する。

「開成は学問重視というより実務的で、学者より官僚や政治家に求められる資質に合っているのだと思います。生徒が主体となって運動会、文化祭、旅行などのイベントを催しますが、男子校特有の荒っぽい生徒や言うことをきかない生徒がいるなか、チームをまとめ上げて、イベントを開催する実務能力が養われていく。

 また先輩後輩の上下関係を重んじる文化もある。気合いを重視する校風でもありますしね(笑)。ただ先輩に唯々諾々と従うだけでなく、言うべきことはきちんと口にする。それでも、方向性が決まれば実現に向けて走る。こうした資質が霞が関で働く際に生きてくるのでしょう」