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2007年には中国から“報復”されたが… “人権派”メルケルが“独裁者”習近平から国益を守り抜いた“秘策”

#1 メルケルと習近平

source : 翻訳出版部

genre : 読書, 国際, 政治

note

チベット訪問による中国からの報復

 北京を訪問したメルケルが、ひとつも協定を結べないという目に遭ったのだ。理由は政治的なものだった。訪中直前にメルケルが、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマと面談したから、また、北京滞在時に非政府組織や反体制派のフリージャーナリストとも話をしていたからだ。そのため、人権問題を常に警戒する中国当局から、受け容れ難い内政干渉であるとみなされ、報復を受けてしまったのだ。

中国の習近平国家主席 ©️AFLO

 中国当局はメルケルへ当てつけるかのように、同じ週に北京を訪問したフランスのサルコジ大統領へ対しては、原子力や航空関連で300億ドルもの多額の契約を結んだ。中国の人権侵害という非常にデリケートな問題に対して、サルコジがはるかに慎重に振舞っているということに、メルケルは気づかされた。

 それ以来メルケルは、中国のリーダーに悟られないよう自身の民主主義的な価値観に従いながらも、ドイツの通商上の利益を守るという綱渡りを続けてきた。

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 2013年に国家主席に就任した習近平は、メルケルにこう語った。「中国であれどこであれ、人権を擁護する最良の方法は貧困問題に取り組むことだ」。表向きには中国を褒めたたえているメルケルとしては、その意見に全面的に反対はしなかった。しかし一方で、本当のところは人権派であるメルケルは、「こんなことを続けるなら、私たちは反体制派を公に擁護しなければならなくなります」と、習近平に言ったこともあるという。とくに昨今における習近平の強硬路線と個人崇拝に対しては、「失望した」とさえ発言している。

歴史に魅了され中国へ敬意を払ってきたメルケル

 とはいえ、自由か自由でないかというよくある二項対立の視点ではなく、もっと複雑な視点で中国を見てきたメルケルは、ある時点から既にソフトパワーを使いはじめていた。中国の長い歴史や、西洋では無視されがちな文化に敬意を払っていることを中国側に伝えるためだ。

 悠久で豊穣で波乱に満ちた中国の歴史に魅了されていたメルケルは、2010年の段階で、西安にある兵馬俑の視察も体験済みだった。始皇帝陵そばの兵馬俑に収められた7000体の兵士をかたどった埴輪をみて、いたく感動したメルケル。中国の指導者も、気をよくしていたに違いない。だが、中国文化の底力を目の当たりにしたメルケルは、一方でこうも感じたはずだ。紀元前210年の時点で、中国の職人は埋葬用に本物そっくりの兵士の埴輪を作っていた。その頃、ヨーロッパは何をやっていただろう、と。中国の文化や技術の力から学ばなければ、ヨーロッパは遅れを取ってしまうとの危機感も、メルケルは抱いたのだ。