4期16年にわたりドイツを率い、近く政界を引退するアンゲラ・メルケル首相(67)。メルケル氏は監視国家である東独出身者であり、常に挙動を見張られ、ときに同僚に密告されるなどの目に遭いながら過ごしてきた。そのため、人権やプライバシーへの意識を人一倍強く持つようになったメルケルだが、アメリカのオバマ大統領(当時)との信頼関係が危機に瀕したことがある。メルケル氏の素顔に迫った評伝『メルケル 世界一の宰相』より、オバマ大統領とメルケル氏のエピソードを再構成して紹介する。(全2回の2回目。前編を読む

オバマに対し懐疑的だったメルケル

 オバマに対するメルケルの第一印象は、「生き急いでいる若者」というものだった。若くカリスマ性のある演説で脚光を浴びるその姿が、キング牧師やケネディ大統領の演説を真似しているように見えたからだ。質実剛健なメルケルからすると、オバマには謙虚さという美徳が欠けている気がしたのだ。

アンゲラ・メルケル首相 ©️AFLO

 ヒラリー・クリントンは、こう証言する。「はじめ、メルケルはオバマに対してどこか懐疑的だった。『オバマの政策はどのようなものなのか? 実際のところ、どんな人物なのか?』ということを知りたがっていた」。ドイツの人気雑誌「シュテルン」は、2008年にオバマを表紙にしたとき、“救世主? それとも扇動者(デマゴーグ)”との見出しをつけた。まさにメルケルは同じような疑念を感じていたようだ。

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 もしかしたら、オバマへのちょっとした嫉妬もあったのかも知れない。聴衆を鼓舞するオバマをテレビ中継で見ていたメルケルは、言葉だけで多くの人をあれほどの歓喜の渦に巻き込むのは、自分にはできないと分かっていた。メルケルが演説を終えても、「愛している!」と叫んでくれる聴衆はいないからだ。

 けれども、メルケルの懐疑とはうらはらに、オバマのアメリカ国内支持率は大統領就任1年後の2010年になんと80%を記録。同年、オバマケア(医療保険制度改革)に署名する姿を見て、さすがのメルケルも、オバマが口先だけではないのを認めないわけにはいかなかった。

性格的にはよく似たふたり

 東ドイツのルター派の元科学者であるメルケルと、ケニア人の父とアメリカ中西部出身の母のあいだに生まれたオバマ。バックグラウンドこそ違うが、性格的にはよく似ていることがやがて分かってきた。ふたりとも、知性的で、感情よりもグラフに示された事実、あるいは分厚い報告書に記された事実を重んじ、没個性的な政治を好む。つまり政治を自らのアイデンティティとするのではなく、あくまで仕事としてこなすのだ。また、中央の政界から見ればよそ者ながら、大方の予想をくつがえして政権の座に就いた点も共通していた。

 しかし、メルケルにとって意外だったのは、にこやかな笑顔がトレードマークのオバマが、少人数のグループでは無表情な学者のように、さもなければ弁護士のように、厳しい一面を見せることだった。「メルケルはオバマのことを、自分と知的レベルが同じと感じていた」と、ふたりの会談に頻繁に同席していたオバマ政権の担当者は証言する。