近く政界を引退するドイツのアンゲラ・メルケル首相(67)。4期16年にわたり、ドイツを率いてきたメルケル氏は、最大の貿易相手国である中国に融和姿勢を取ってきた。科学者出身の女性宰相であるメルケル氏の素顔に迫った決定的評伝『メルケル 世界一の宰相』から、中国・習近平国家主席とのエピソードを再構成して紹介する。(全2回の1回目。後編を読む

アンゲラ・メルケル首相 ©️AFLO

「敵を憎むな。判断が鈍る」

「敵を憎むな。判断が鈍る」――映画『ゴッドファーザー・パートⅢ』でアル・パチーノ演じるマフィアのボスによるセリフだ。長年にわたり中国の独裁政権の相手をしてきたドイツ首相メルケルだったら、きっとこのセリフに賛同するだろう。

 西側諸国の代表として民主主義や人権を擁護するメルケルは、中国やロシアといった独裁国家のリーダーたちとは真逆な価値観の持ち主だ。しかし、正義感に駆られるまま、国際社会の面前で独裁者を吊るし上げても、結果的には逆効果になりかねないリスクも分かっていた。首相としてドイツの国益を守る責務もある。それゆえ、ときにソフトパワーも駆使して、独裁者たちから実質的な成果を引き出してきたのだ。

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中国の将来性を見抜き、有益な貿易協定を締結

 ITテクノロジーなどの進化とともに経済成長を遂げ、いまや世界トップの座を狙う中国。けれども、メルケルはなんと2005年というかなり早い段階で中国の将来性を見抜き、以来ほぼ毎年のように訪中を敢行。江沢民、胡錦濤、習近平と、じつに三代に渡る指導者たちと対話し、関係性を重ねてきた。そして中国を訪問するたびに、ドイツ企業にとって有益な貿易協定を結び、ドイツ車は中国においてトップ3のシェアを誇るまでになった。

 そもそもメルケルが、中国の経済的発展をいちはやく予想できたのには理由がある。歴史への造詣が深かったから、また、政界入りするまでは物理学者だったため科学にも強かったからだ。はるか歴史を遡れば、中国は火薬などの貴重な技術を発明し、天文学の研究も盛んに行なってきた。その昔はテクノロジー大国であり、世界史に君臨してきた時期が長かったことをメルケルは知っていた。それゆえ、いつの日かまた世界の主役の座へと返り咲くであろうことも容易に想像できたのだ。

 そんなメルケルの中国への深い理解と洞察のもと、順調そうに見えた両国関係。だが2007年、ある異変が起きる。