心に沁みた“ヤクザ牧師”の講話
でもここで、進藤龍也牧師の講話が流れてきたんですね。進藤牧師も、かつては私と同様に辛抱できない人間だったことに激しく共感しました。模範囚でいることの価値などを説く内容でしたが、他の人の話と異なり、とても身に沁みました」
進藤牧師は「文春オンライン」でも取り上げた、元ヤクザの牧師だ。主に元ヤクザや受刑者といった人に対する「刑務所伝道」に力を入れている。
「だって、元ヤクザなのに、刑務所で講話が流れるくらい法務省に認められているってことですよ。私はクリスチャンではありませんが、そんな経歴を持つ進藤さんに感銘を受けました。『私も出所したら、人のために役立てるような人間になりたい』と思ったんです」
そして4年前の10月末、38歳のときに出所した。
「絶対に薬物の過剰摂取やギャンブルには手を出さない」
湯浅さんはそう固く誓い、第二の人生に向けてさまざまなことを考えていた。そこへ、1通の手紙が届いた。送り主は大宮の役所だった。
「母が癌で余命宣告されていること。そして会ってみないか、という内容でした」
母親の余命宣告「虐待され、DVし…共依存関係だった」
実は、波乱に満ちた日々のなか、湯浅さんは母親とずっと一緒に暮らしていたのだという。#1で明かしているように、湯浅さんは母親から幼少期に虐待やネグレクトを受けているが、どういう関係だったのだろうか。
「今思うと、母とは『共依存関係』でした。険悪な仲がずっと続いていましたが、離れることができなかった。実家にいるときはもちろんですが、私が21歳のときに父が亡くなって以降、ずっと一緒に暮らしてきたんです。彼氏と同棲していたときもそうですし、結婚してからも旦那が買ったマンションに3人で住んでいました」
しかし、湯浅さんが万引きで逮捕される直前、その依存関係に深刻なヒビが入り始める。
「この頃は荒れに荒れてしまい、母にかなり激しく暴力を振るうようになってしまったんです。首根っこを掴んで引きずり回したり、叩いたり蹴ったりしてしまいました。幼少期の虐待された記憶が蘇り、『お前がろくな教育をしなかったせいだ!』と責任転嫁し罵倒していた。今思えば、人工透析をしていた母によくこんなことができたなと思います」
湯浅さんが逮捕されると、母親は「このままじゃあの子に殺される」と言って、同居していたマンションを出て行ったのだという。湯浅さんは「こんな人生を送っているのは母がしっかり育ててくれなかったから」という考えを拭うことはできなかったが、一方で母親と向き合って話したい気持ちもあった。