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1人で亡くなった母親「母も虐待を受けて育った」

「悩みましたが、会ってしっかりと話そうと思いました。でも会う予定だった数日前に、また役所から電話がかかってきました。母が亡くなってしまったんです。『やっぱお母さん、最後まで逃げるんだね』と……。今話していても涙が出てきます。

 本当は、自分が悪いんだって分かっていました。母も子供時代に虐待を受けていたので、それが連鎖したんです。母も子供の愛し方を知らなかっただけなのかもしれない。最後に警察署の留置所の面会室で会って以降亡くなるまでの3年間、一人で生きさせてしまいました」

 湯浅さんは鼻をすすると、「でも母が私を産んでくれたから、今の活動ができる」と話を続けた。

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吉原のソープランドに勤めていた頃の湯浅さん

「まずは私の経験を生かしてあらゆる依存症に苦しむ人と、その家族の相談に乗りたいんです。だから産業カウンセラーの資格を取りました。『碧の森』というインターネットサイトを作って、相談を受けています。インターネットで〈受刑 相談〉と調べると、弁護士事務所がだいたいヒットします。でも私に相談してくれる人は『話を聞きたいのは弁護士じゃない』とみなさんおっしゃいます。私が依存症だからこそ、みなさん話をしてくれる。私のような人間でも役割があるんですよね。

「いまでも薬の売人からDMが来る」

 もう一つは元女子受刑者の働き口を作りたいんです。将来的にはネイルサロン、アロマやエステ、盆栽作りで女子受刑者を雇用して居場所を作りたい。刑務所でも仕事の斡旋をしてくれますが、肉体系とか女性に向かない職業ばかりでした。中にいたからこそ分かる実態です」

 大きな目標を掲げているが、もう依存症は克服したのだろうか。

「依存症に完治という言葉はないんです。回復し続けることが大事なんです。ツイッターには、いまでも薬の売人みたいな人からDMが来ます。時折、スロットに触れそうになることもあります。先日の歌舞伎町の違法スロット摘発のニュースを見ているときに、昔の私がやっていた頃の機種があってすごく懐かしくなった。

 

 でも、またそんなことをしたらここまで寄り添ってくれた旦那を裏切ることになります。『今の生活を失いたくない』という思いで天秤は依存症に傾かないようになっていますが、何かあると傾いてしまうかもしれない。だからこそしっかり生きていきたいんです」

 90年代、00年代と青春期をやりたいことだけやってきた半生。「子供を作るつもりはない」と、残りの人生は人のために生きる決意をしているのだという。しかし依存症克服も更生も、そうやすやすと達成できるものではない。湯浅さんの今後の道のりが、どのようなものになるのか注目したい。