さらに、菅にとってもう一つ大きな誤算が、小泉進次郎の動向だった。この頃、小泉は連日官邸に通い、総理と一対一の会談を重ねていた。小泉は、いち早く菅の再選支持を表明し、菅の最側近議員とも言える存在となっていた。そして、世論の人気が高い小泉は、菅が考える人事の切り札であり、目玉でもあった。菅と会談を重ねる小泉は、再選に向けたどんな戦略を進言しているのか、周囲は注目をしていた。
しかし、菅の側近は肩を落とし、かぶりを振った。
「小泉さんは、総理に総裁選への立候補を取りやめるように説得しているのです。応援してもらえると思ったのに、反対に止められてしまいました。当てが外れてしまいました」
最も頼りにする小泉から出馬を見送るように説得されたことは、菅にとってもショックだった。当然、退陣を勧める小泉に、幹事長や官房長官人事を打診することなどできなかった。
また、菅が目をかけ続けていた河野太郎も、出演したテレビなどで「菅総理の再選を支持するか」と再三問われながら、「まず、私はワクチンをやっているから、自分の仕事をやりたい」と繰り返し述べ、菅の再選を支持するとは最後まで明言しなかった。
菅は周辺に対し、「人事は小さくやろう」と力なく指示した。
この日、菅は近しい自民党幹部に対し、「俺は人気がないんだよな。これだけ仕事をしているのに、なんで分かってくれないのか」と嘆いたという。解散権だけでなく、人事権まで失った菅は、絶体絶命の窮地に追い詰められていた。
決断
9月2日朝、菅は官邸の総理執務室に信頼する側近を呼び入れる。そして、そこで「総裁選には出馬しない」と告げた。この側近は慌てて、「それは違いますよ、総理」と猛反対する。1時間以上、説得を繰り返して、ようやく菅は「やっぱりやるか」と翻意する。そして、「週末は勉強会をやる」などと気合いを入れ直す。しかし、しばらくすると、小泉がまた執務室に入り、出馬見送りを決断するように再度説得を始めた。
側近が執務室から出てきた小泉を呼び止める。
「小泉さん、さすがにひどくないですか。私は岸田さんよりも、総理の方が、仕事ができると確信しています。しかも、総裁選をやれば勝てると思っています」
しかし、小泉は、やれやれ、という雰囲気で、力なく笑った。
「それは玉砕戦法ですよ。客観情勢を見ても、勝てませんから」
この日の午後3時54分、菅は自民党本部4階に入り、二階幹事長と会談する。その直後、複数の自民党議員から私の携帯に電話が入る。まったく同じ用件だった。
「総理が辞任するという情報が入ったけど、本当か」
1年前の8月28日、辞任の意向を固めた安倍も、午後になって急遽、自民党本部に入り、二階と面会し、辞意を伝えた。嫌な予感が背筋を冷たく流れ落ちる。
私は、4階のエレベーター前で菅の姿を見送ると、非常階段に駆け込む。そして、菅が車に乗り込んだ頃合いを見計らって、携帯を鳴らす。すぐに出た。
「総理、辞めませんよね?」
その声は、予想外に明るかった。
「辞めないよ。誰がそんなことを言ってるんだ。ひどいなあ」