わずか1年での孤独な決断
しかし、その明るさは空元気でしかなかったのだろう。
翌9月3日朝、菅は、執務室に複数の側近を呼ぶと、静かに告げた。
「今日の役員会で、こう発言する。『コロナ対応と総裁選の両立は難しいと判断したので、人事は取り下げるし、私は総裁選には出ない。役員は最後まで頑張ってください』と」
側近の1人が、再度、説得する。
「総理、そんなことを言ったら、引き返せませんよ。昨日は、やると言ったではないですか」
「もう、気力が出ないんだ。やるぞ、という気にならない」
静まりかえった執務室に、側近たちの嗚咽と、むせび泣きが響き渡った。もう、これ以上、説得することはできなかった。
そこに、加藤官房長官も呼び込まれる。
「ああ、決められたのですか」
側近たちとは対照的な、淡々とした言葉だった。そして、執務室を出る際に、独り言を口にした。
「あ、そうだ。総理が役員会で発言する前に、私の記者会見を終わらせた方が良いな」
菅は、この直後に自民党本部に向かい、臨時役員会に出席する。本来は、ここで週明けに行う役員人事について、「総裁一任」を取り付けるはずだった。しかし、ここで、総裁選には出馬しないことを正式に伝えたのだ。居並ぶ党役員たちは、予想もしていなかった菅の言葉に、呆然とするばかりだった。
この夜、電話をかけると、菅は穏やかな様子で、力が抜け切っていた。
「この選択は、仕方がなかったのですか?」
「もう、戦う気力がなくなってしまった」
「なぜですか?」
「身体のエネルギーを使うからね。コロナ対応をやりながら、現職の総理が選挙を戦うのは難しかった。1人ではどうにもならなかった。派閥もなかったしね。そして、このまま突っ込んでいったら、党内が恥ずかしいことになっていた」
「どういうことですか?」
「人事を一任しないとか、そういう動きがあったんだよ」
「でも、総務会は会長の佐藤勉さんがいるから、一任は取れたのではないですか?」
「いや、そのベンちゃんが『難しい』って言ってきたんだよ。このままだと、自民党がズタズタになってしまっていたよ」
一部の議員らが、総務会で菅の人事を阻止する動きを見せていたという。それをはねのける気力は、もう残っていなかった。「仕事をしたいから総理大臣になった」と目を輝かせて語ったあの日から、わずか1年。菅は退陣に追い込まれた。最後まで、誰にも相談することなく、自らの感情を胸の奥底に押しとどめたまま下した、孤独な決断だった。裸一貫で権力闘争の世界に飛び込み、戦い続けてきた男が、ついに力尽きたのだ。
【前編を読む】「『指導力がない』と言われるけど、こんなに指導力のある総理はいないだろう」総裁選直前の菅義偉が担当記者にこぼしていた“本音”