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2021/12/08

ライフハックの不自由さ

 ビジネス思考は、社会問題に対して、状況を変えるのではなく、状況に自らを適応させることを要求する。世の中に対する批判や反対は嫌がられ、そんな暇があったら「前向きに」自分が社会の中でいかに適応して生きるかを考えればよい、といわれる。これが、多種多様に存在するライフハックといわれるアプローチの前提となる。

 しかし前述の通り、それは一人の人間にとっての最適解になりえても、社会全体の最適解となりえるかは疑わしい。だが、責任概念なき個人主義によって、同じ社会に生きる他者の存在は喪失させられている。ビジネス思考では、他人はマーケティングの対象としての消費者か、商売上の競争相手か、あるいはオンラインサロンのような狭いコミュニティの中にいる「身内」か、となる。ライフハック的に生きようとすれば、自分の外部にある世界は「市場」か「コミュニティ」かのどちらかとなり、主体はそのときどきのトピックに合わせて、その間を揺れ動くことしかできない。

 これは見方によれば、とても不自由な思考なのではないかと思う。世の中はもっと複雑で、多様な価値観に満ちている。しかし、人間観をいくつかのパターンに固定化してしまうと、その多様性が見えなくなってしまう。

 たとえば、いわゆる「炎上」案件についての対応もそうだ。今年8月、メンタリストのDaiGoが自身のYouTubeチャンネルで「ホームレスの命はどうでもいい」「生活保護の人が生きていても、僕は得をしない」「僕は生活保護者の人たちにお金を払うために、税金を納めているんじゃない」というホームレスや生活保護者への差別発言をしたことにより「炎上」したとき 、堀江貴文はこれもまた自身のYouTubeチャンネルで「炎上させたい人がすげぇがんばって炎上させている感じ」「誰かを吊し上げたいんですよ」と彼を擁護した。

 ネットで怒っている人は、誰かを吊るし上げること自体が目的化しているので無視してよい、というのだ。「炎上」を起こす人物の意図は不純であり、だから「炎上」は気にしなくてよいという考えは、「NewsPicks系」のインフルエンサーの多くに共有されている考えであり、また彼らを支持する人たちにも浸透しているように見える。

堀江貴文著『多動力』幻冬舎、2017年

 しかし、一般に「炎上」として括られる事件には質の差がある。確かにテレビ番組「逃走中」で「自首」を選択したから「炎上」した芸人のように、どうでもいいことで「炎上」するケースも多い。しかし、前述のDaiGo発言や、堀江貴文自身が昨年9月、マスク未着用の同行者がいたことにより入店を拒否された飲食店を批判したことにより発生した「炎上」事件のように、批判されてしかるべき案件もある。影響力が高い者が公に発信した内容に対しては、誰もが自由に意見を述べることができる、というのが公共的思考の基本だ。

 しかし、ライフハックこそが至上だと考える人にとっては、「身内」でも「消費者」でもない意見はノイズにしかならない。「責任概念なき個人主義」により、責任を負うべき一般的な「他者」は存在しないからだ。そうなると、どんな正論も耳に入らず、批判に対して過剰に防衛することになる。たとえ本人がよく人の意見を聞くようにしていても、まず前提思考の時点でフィルタがかかっている。そのせいで、本来は聞かれるべきだった意見も届かなくなり、同じ前提をもった人たちの交わりの中でしか思考を更新することができなくなる。