「ロシアでは、生活の中に文学がある。文学とは直接かかわらない職業、たとえば救急隊員の人の口から、プーシキンの詩の引用を聞くこともあります。文学は自分の中にあって当然のもの、という空気があります」
奈倉有里さんは、日本人として初めて、ロシア国立ゴーリキー文学大学を卒業した。全学年合わせても約250名という小規模大学だが、ロシアでは知らない人のいない特殊な大学だ。ロシア革命後、作家を人々の思想の根本を作り上げる職業として重視したソ連政府によって創設されたのだ。
だが、奈倉さんが単身ロシアへ渡る前は、ロシアのことは文学作品を通じてしか知らなかったという。
「母が語学学習好きで、高校生の頃に自分も何か英語以外の言語をやりたいと思ったんです。その頃好きだった作家はゲーテとトルストイなのですが、ドイツ語は母の方ができるからつまらない。ロシア語は文字も暗号みたいで魅力的でした。それに、ロシアでは文学が大事にされているんじゃないか、という予感があったんです」
「進路というものがあるならロシア語しかない」と気負った奈倉さんは、高校卒業後、ペテルブルグの語学学校で学び、モスクワ大学予備科を経て、ゴーリキー文学大学へ入学する。『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』は、ロシアでの留学中に交わった国籍も背景も様々な人々や、2000年代のロシアと、そこから20年を経て変わりゆく景色を30章にわたって活写する。ロシアの豊かな文学性を感じさせるのは、各章の冒頭に置かれる、トルストイ、ドストエフスキー、ブロツキー、エセーニンなどの様々な小説、詩、歌詞の引用だ。
「その章の内容に深くかかわるものもあれば、そうでもないものもあります。知識を詰め込むのではなく、あくまでも自然に本や歌を登場させることで、文学が息づく現地の雰囲気を味わってほしかった」
自由奔放だけど世話好きなユーリャ、進学先を示唆してくれたエレーナ先生、突然消えてしまったサーカス団のサーシャ、怖いほど真実を探す、ベラルーシ出身のオーリャ、深い友情を結んだマーシャ……。奈倉さんの目を通して描かれる周囲の人物は、ロシアという国そのものをも浮かび上がらせる。中でも、大学で「文学研究入門」と「20世紀ロシア文芸批評史」を教えるアントーノフ先生の存在感が、進級するたびに大きくなる。アントーノフ先生は、授業が終わると大学構内にいるうちから早々と酔っ払い、休日はビールを片手に公園を徘徊するような人物だ。しかし、ひとたび教壇に立つと、まるで別人になり、教科書を一切使わず、重要なことばかりをまくしたてる。授業が始まるということは、劇場の幕が上がるようなものだった。魅了された奈倉さんは、速記を覚え、先生の授業を一言も漏らさず書き取ろうと心に決める。
「東京の大学院へ進学することになり、日本へ戻ってきても、講義ノートを開けば、先生の声が聴こえてきました。先生は私を大きく変えた人で、私を構成する重要な要素なんです」
終盤では、そんな先生との顛末と著者の心情が、読者の肌身に迫るような語りで描かれ、読者もいつしか文学の奥に迷い込んでいる。
「一緒にロシアに行った気持ちになる、という感想を多くいただいたのがなにより嬉しいです。私が今でも思い出すと元気になったり悲しくなったりする大切な話ばかりを書いたので、読者と一緒にもう一度旅立てる気がしてくるんです」
なぐらゆり/1982年東京都生まれ。モスクワ大学予備科を経て、ゴーリキー文学大学卒業。東京大学大学院博士課程満期退学。訳書にミハイル・シーシキン『手紙』、サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』など。