絶望の淵に立たされている人たちは何を思うか
精神的に追い込まれ、仕事ができないほど困窮している人が、藁をも掴む思いでこの医師のもとを訪れて、「月に3万~4万円かかる治療を5年か10年受けなければ、絶対に、治りません」と言い切られたとき、何を思うだろうか。
自分の未来に絶望して、こんな苦しみがこのまま5年、10年も続くなら、と人生を諦めてしまう人もいるんじゃないだろうか。少なくとも、以前の私だったら、自ら命を断つ選択をしても何ら不思議ではない。そう思った。
そんなことを考えながら、カウンセリング治療について説明する医師の言葉を聞いていると、突然、ある質問を切り出された。
「あなたは私に、死なないと約束できますか?」
少し考えて、「わかんないですけど、まあ、はい」と答えると、医師は「では結構です。うちで治療を引き受けましょう」と、わざとらしく、重々しく言った。
質問の意図は、もちろん理解できた。通院中の患者が自死したとなれば、かなり大変なことにはなるだろう。おそらく少し前の私なら、約束はできなかったと思う。しかし、「死なない」と約束できない人は、どこへ行くんだろうか。今、限界まで追い詰められてしまっている人は、どこに行けば助けてもらえるのだろうか。この医師は、約束できなかった人を、入院治療を受けられる大きな病院に紹介してくれるだろうか。
行った病院で言われたことがすべてではない
帰り道、次に診察を受けられる病院を探しながら、「専門家」の持ちうる暴力性について考えていた。命からがらたどり着いた医師にこれまでの選択を否定され、高額の治療法なしでは「絶対に」治らないと言われ、治療と引き換えに、死なないことを約束させられる。
心身ともに参ってしまっている人にとって、それがどれだけ酷なことなのか、私は経験者として、少しは理解ができる。転院先を探しているとき、このような医師と出会うことは決して少なくない。しかし、できれば絶望しないでほしい。
専門家とはいえ、相手はただの人間であること。利益を最大限に重視する人間であれば、患者の都合など少しも考えない場合もあること。そしてその場合は、別の病院にかかることで解決できる可能性が非常に高いこと。
これまで飲んでいた薬を全否定され、その医師に処方された薬を試しに飲んでみた。まったくと言っていいほど効かず、夜は少しも眠れなかった。ようやく眠りについたころに見る悪夢も悪化した。なんなら、処方されたのは過去にすでに試したことがある薬であり、効かなかったために他の薬へと変更したものだった。
そんなこともある。行った病院で言われたことがすべてではない。転院先は、肩肘を張らず、気長に探すくらいの方がちょうどいいのかもしれない。ひとまず今日安心して眠ることができるよう、一緒に考えてくれる医師に出会えれば、一旦はそれでいいのかもしれない。
度重なる転院先選びに失敗した今、そんなことを思っている。