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2021/12/12

source : 文藝春秋 2022年1月号

genre : エンタメ, 芸能, 映画, テレビ・ラジオ

「『お前のイメージはそれだけか』とずっと聞かれている気がするんだ」

――食事に連れていってくれたというのも、LAでのことですか。

國村 2人きりでの食事は3、4回あって、いずれもLAでの話です。日本食の居酒屋さんに連れていってくれました。そこでいろいろと話を……といっても、優作さんは本当に映画の話しかしなかったです。何しろ当時の僕は、映画(出演)は2作目ですから、まったくの素人と言っていいようなものなので、「そうなのか、ふーん」と思いながら聞いていたんですけど。

――たとえばどんなお話ですか。

國村 “映画の父の国”……これは彼の言葉でアメリカのことらしいんですが、「自分はずっと“映画の父の国”で映画をやってみたかった」という話はよく聞きました。ブラック・レインの現場にいられることを、ものすごく喜んでいたんです。

 ハリウッドの撮影が日本と違うのは、一発OKやNGという考え方がなく、特にリドリー・スコットという監督の撮影スタイルとして、カメラが4台くらい回っていて、同じシーンを平均で7テイク撮っていくのが普通なんです。その現場で優作さんが演じるのを横で見ていると、ワンテイクごとにパフォーマンスが全然違っていました。台本通りセリフは一緒なのに、動き方も含めて全然違うイメージになる。僕は同じ演技をしなくちゃいけないと思っていましたから、それが不思議でしょうがなかった。それで聞いてみると、優作さんが言ったんです。

「俺はこの現場で、リドリーから『お前のイメージはそれだけか』とずっと聞かれている気がするんだ」って。7テイクやるなら、全部違うパフォーマンスをしてほしいと要求されているようなものだ、と彼は言うわけです。監督に「こいつはこの程度か」と思われるのは悔しいというのを、それはもう楽しそうに話していました。

――体調的には、もうお辛い時期だったのかなと思いますが。

國村 いやもう、絶対に、体は辛いはずですよね。でもまったくそう感じさせなかったです。

 ただ、今から思えば、ということはいくつかあります。食事に連れて行ってくれた後、話が尽きなくて、優作さんの泊まっていたスイートルームにお邪魔したことがありました。彼の部屋にはプライベートバーが付いていて、酒瓶が棚にズラッと並んでいるのを前に「お前、好きなもの飲め」って勧めてくれて。僕が「ビールをいただきます、優作さんは何飲むんですか」と聞いたら、「俺はいいよ」って言ってティーパックでお茶を淹れて飲みはじめた。すぐに部屋着に替えてずっとソファーに横になっていました。

 でもその時は、くつろぐ時にはこういう習慣がある人なんだろうな、としか思わなかったです。しんどそうには全然見えなかった。ましてや、撮影のときには、もう全然わからないです。

晩年の松田優作を語る國村隼氏 ©文藝春秋

――他にはどんなお話をされましたか。

國村 「この世界でやっていくには、人の中に入っていくときには必ず見られているということを意識しろよ」といった、映画俳優としての、いろはの"い"から教えてくれました。「主役を張る役をやるときとサポートに回る役では、現場で考えなきゃいけないことも違うんだ」とかね。

 そういうことを、自分なりにずっと考えてきはった人なんです。だから言葉に置き換えて、人に伝えることができる。今の僕も含めて、あんまりそんな話、後輩の役者さんにはしないものです。よく僕なんかに話してくれはったなと今更ながら思うんです。