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2021/12/12

source : 文藝春秋 2022年1月号

genre : エンタメ, 芸能, 映画, テレビ・ラジオ

『ブラック・レイン』は「優作さんの映画」

――國村さんにそうした「役者論」を語り伝えてくれたのは、なぜだったのでしょう。

國村 さあ、それは優作さんに聞いてみないとわからない。だからこれは想像でしかないですけど、さすがにあの松田優作という人にしても、自分が体の不安を抱えながら、望んでいた現場で面白い役をやっている……それは、そんなに安定した状態ではなかったんじゃないかと思います。いろんな面で、不安定なところがあったのかもしれない。

 だから、僕なんかでも相手にして、自分が今まで積み上げてきた、考えてきたものを語ってくれた。目の前の僕がまったく理解できていないのはよくわかってはるから、一生懸命、空っぽの器に自分の中にあるものを注ぐかのように、語ってくれはったのと違うかなと思います。これも今から思えば、の一つです。

――当時33~34歳だった國村さんからしたら、先ほどおっしゃったように、「そうなのか、ふーん」とすぐにはぴんとこなかったお話もあったわけですね。

國村 そうです。後々になって「優作さんがあんな風に言っていたのは、このことかな」と理解できたことがありました。今でもふと、自分がその時置かれた状況を「そういえばこれ、『ブラック・レイン』の現場での優作さんみたいやな」と重ねる瞬間もあります。

今でもカルト的人気を誇る『ブラック・レイン』 ©文藝春秋

 何より、優作さんは教えたつもりがないかもしれないけど、現場で楽しんでいる優作さんを見ながら得たことは大きいです。この人がこれほどのめり込むのが、映画の世界なんだと。優作さんを通して映画の面白さの入り口に立てたからこそ、僕は『ブラック・レイン』のあと香港へ行って、ジョン・ウーやチョウ・ユンファなどと一緒に仕事をするような道筋が自然とできた気がします。

 だから僕にとって、松田優作という人は「映画のお師匠さん」みたいな存在です。

――完成した『ブラック・レイン』を最初にご覧になった時は、どんな印象を抱きましたか。

國村 変な言い方ですけど、「これは優作さんの映画だなぁ」と思いました。マイケル・ダグラスとか高倉健さんとかアンディ・ガルシアとか、素晴らしい役者さんがたくさん出ているわけですけど、松田優作という人が、彼の演じた「佐藤」という存在が、映画を支配していました。もっとも当時は、僕の出番がカットされて残っていないんじゃないかとドキドキして、自分の撮影されたところは全部使われていてホッとした、というのが一番なんですけど(笑)

――映画2作目がハリウッドというのは滅多にないことですしね。

國村 すごい巡り合わせではありますよね。この現場は、僕の役者としての原点です。なかでも、ずぶの素人だった僕に噛んで含めるようにいろいろ教えてくださったのが、「映画のお師匠さん」である優作さんだったわけです。

 あれから30年以上がたちますけど、僕は最近、どんどん仕事が楽しくなってきたんです。

國村氏にとって「映画のお師匠さん」だった松田優作 ©文藝春秋

――これだけ国内外で活躍されてきた國村さんが、65歳の今にしてそう思われるのですか?

國村 そんなもんやと思いますよ。試行錯誤を重ねて、やっと現場を面白がれるようになったし、現場で自由になれるようになったんです。プレッシャーはありながらも、何かいろんな表現ができそうやなと楽しんでいる。

 それこそ優作さんが「(監督の)リドリーに『お前のイメージはそれだけか』とずっと聞かれている気がするんだ」と、ものすごい楽しそうに言ってはったことが、なるほどなとようやく腑に落ちました。プレッシャーを感じながら、撮り手の要求に応えて、時にはびっくりさせることの楽しさですよね。被写体としての苦しみでもあり、楽しみでもある。僕にもやっとその境地が、なんとなく見えてきたところです。

――そう考えると、30代にしてその境地に達していた松田優作という俳優は、やはりすごい存在ということですね。

國村 すごい人ですよ。だからこそ、もっと見せてほしかったと思います。あの人が、ブラック・レインの後、まだこっちにいはったら一体どんな仕事をしたんだろうということはすごく考えます。映画のことをよく知っている優作さんだからこそ、ブラック・レインの現場であれだけ燃えたら、また何か違うものを後の作品でできたはず……というのがね。