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「私はいつも助けたいと思っているから」

 その直後、竹下に2人で話そうと部屋に招き入れられた。じっと木村の悩みに耳を傾けていた竹下は、諭(さと)すように言った。

「沙織がどんな状態であろうと、私はいつも助けたいと思っているから」

 こらえていた感情が堰(せき)を切り、口元から嗚咽(おえつ)が漏れた。木村が言う。

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「私は子供の頃から母に『人前では泣くな』とか『自分のことは自分で解決しなさい』と言われ続けてきて、自分のことを他人に話すのは苦手でした。でもなぜか、テンさんには話せたんです。テンさんも自分のことを信頼してくれているのは分かっていたので、私がスランプに陥って、テンさんの信頼を失うのがすごく怖かった。あの時、テンさんに『いつも助けたいと思っている』と言われ、もやもやしていたものが一気に晴れた気がしました」

木村と厚い信頼関係を築いた竹下佳江 ©文藝春秋

 木村は、竹下が自分を信頼してくれているのは、自分の技術があってこそだと考えていた。

 しかし、竹下はスランプに陥っている自分も変わらず認めてくれていた。竹下にすべてを肯定してもらっているという安堵感は、内向きになっていた木村の心を解放させた。

「サーブレシーブはすべてAパス(セッターの位置から1メートル以内に返す)でなければいけないって自分で自分を呪縛していたんですけど、試合の前に『乱れるかもしれないですけど、テンさん、後はお願いします』と言えるようになったんです。テンさんも『適当に上げておいてくれればいいから』って。リョウ(佐野)さんにも『フォローお願いします』というと『任せて』と返してくれた。本当はテンさんやリョウさんのようなレシーブが理想ですけど、2人に試合前に声をかけることによって、気持ちがぐっと楽になりました」

ロンドン五輪での女子バレー日本代表 ©文藝春秋

 心の平静はプレイにも現れた。木村のサーブレシーブは安定し、迷いなくスパイクにも入れるようになった。だが、眞鍋はロンドン五輪3カ月前に行われた世界最終予選の戦いぶりから、さらに高いレベルを求めた。五輪では、ライバル国がほかの国際大会とは違う顔をみせる。メダルを確実にするには、木村が世界一のサイドアタッカーになる必要があると踏んだのだ。

世界一のサイドアタッカーになる必要があった

 眞鍋は最終予選が開催されている最中、試合のない日に男子バレーのサントリーサンバーズのヘッドコーチを務める荻野正二のもとに木村を向かわせた。眞鍋が言う。

「荻野は苦労して苦労してサーブレシーブを磨いた選手。もともとそれほどうまい選手じゃなかったのに、努力して日本一上手いサーブカットが出来るようになった。だから、荻野の声は木村に届くと考えたんです。もちろん、僕もコーチも沙織を指導しますよ。でも、いつも一緒にいるから刺激がないんです。案の定、荻野に3日間指導してもらっただけで、木村はまた生き生きとしてきましたから」

 ロンドン五輪でも木村は相変わらず、サーブで狙われていた。しかし、待っていましたとばかりに、やすやすとレシーブを上げる。スパイクレシーブ(ディグ)にも身を投げた。レシーブした身体を瞬時に立て直し、助走に入る。竹下から繰り出された速いトスをストレート、クロス、フェイント、ブロックアウトと、相手のブロックの隊形を見ながら自在に打ち分けた。しかもその顔は笑っていた。相手側からすると、これほど嫌な選手はいない。

ロンドン五輪での一幕 ©文藝春秋

 五輪での木村の活躍は、数字が物語っている。ベストスコアラー(総得点)はキム・ヨンギョン、フッカー(米国)についで3位。ディグは、ヨンギョンが14位、フッカーが24位に対し木村は8位。またベストレシーバーはヨンギョンが9位、木村は12位、フッカーはランキング外だった。

 ちなみに、ベストスコアラー4位のシェイラ(ブラジル)、5位のガモア(ロシア)は、ディグ、ベストレシーバーともにランキング外だ。木村がいかに攻守ともに優れた選手かが分かる。世界にはブロックの上から打ち切るような剛腕アタッカーが少なからずいるが、守備もうまい選手となると極端に少ない。