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「こうするしかなかったんだってね…」“自殺”したはずの妻を“殺した”容疑で刑務所へ送られた男性が明かす“異常な裁判”の実態

『インド残酷物語 世界一たくましい民』より#2

2021/12/05
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裁判所の判断は「どちらでもいい」?

 これはインドの「裁判文化」を知らなければ、理解できないだろう。

 インドでは裁判所が処理しきれないほどの民事・刑事裁判が行われている。しかも、そのほとんどが何年もダラダラと引き延ばしにされて、結論が出ていない。ごく明白な犯罪が絡む刑事裁判を除いて、多くの裁判事例は、裁判すること自体に意義があり、勝ち負け(あるいは裁判所の最終判断)はどちらでも良いと思われている節がある。スレーシュの例はその典型的なケースである。妻の両親は、スレーシュが娘を殺したとは思っていない。どうも娘の不倫も知っていたようでもある。そしてスレーシュに殺人の罪を着せられるほど証拠も何もないことも分かっていたはずである。それでも、訴え出た理由は、一言でいえば「メンツ」である。

 直接的には死んだ娘の名誉を守るためだ。不倫をしていて自殺したと思われるよりも、夫に殺されたというストーリーの方が名誉が保たれるというのは、女性は貞淑であるべきという文化においては当然なことなのだろう。だがこれは彼女個人の名誉にとどまらない。実のところ彼女個人のことなど二の次である。重要なのは、不倫し、自殺するような女性がいる家の評判である。彼女に未婚の兄弟姉妹がいれば、彼女の行為は彼らの結婚に確実に影響する。今でも結婚は、個人だけでなく家族全体がその財産や社会的地位を押し上げるための梃子のようなものである。だからこそ、家族の名誉を損じることは何が何でも避けなくてはならない。例えば不倫した女性の妹ということが分かれば、嫁にもらってくれる男性の収入レベルは必然的に下がってしまうし、あるいは不当に高額な持参金を要求されるかもしれない。インドの結婚は極めて複雑な計算の上に成り立つが、少しでも不利な点がない方がいいに決まっている。

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 「だからね、彼らのやったことの意味がよく分かるんです。刑務所に入ったことで数ヶ月間稼ぎがなかったし、母親に死なれてしまった(当時まだ三歳だった)息子の面倒を自分の年老いた母親に頼まざるをえなかったし、いろいろと大変でしたよ。でも特に恨むという気持ちはないです」とスレーシュは物分かりの良い口調で言う。しかし、こんなに穏やかに裁判や刑務所での体験を受け止められる人ばかりではない。