昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「この社会でやっていけるのか」

 小谷さんは、「事件のあと部屋の整理を進めるなかであるものが見つかった」と私たちに見せてくれた。差し出されたA4サイズのノートは、縦書きの文字でびっしりと埋め尽くされている。文書の冒頭には、「今までを振り返っての思い出と反省点」と記されていた。就職してからの体験や感じたことを書き留めたものだという。

「初めて給料をもらったときはとてもよかったなあと思った」

「働く前までは親に食べさせてもらっていたが、これで自分で生活することができたんだと思った」

 初めのうちは、給料をもらったことなどへの喜びが記されていたが、次第に仕事に対するつらい思いが占めるようになっていく。

「はじめての仕事はつらくて嫌になって時々休むようになった」

「仕事の時間は朝9時から夜9時半ごろまで。休みは週1回。嫌気がひどくなりとうとうやめることになった」

 その後、新聞や雑誌の求人で新たな職場を見つけ働くも、すぐに辞め、また新たな職場に移るという繰り返しが綴られていた。そのうちに徐々に自らを責める記述が増えてくる。

「後から入って来た人は器用に仕事をこなしていて到底太刀打ちできない」

「仕事中の問題点として『やることがのろい』ということがある」

「自分ではそれでも精いっぱいやっていることもある。しかしこれでは人に迷惑を掛けることもありそのことはすべての職場で言われてきたことだ」

 そして、仕事に就くこと、社会に出ることへの不安につながっていた。

「給料がもらえるまで仕事が続かなくなった……」

「これからどうしたらいいのかと思うとともにこの社会でやっていけるのかと思った」

©iStock.com

 こうしたつらい体験も影響しているのか、小谷さんは人と会話をしていると時折言葉に詰まってしまい、おどおどしてしまうことがあるという。働いていた当時は、同僚から煮え切らない態度だと注意され、きつく当たられてしまったと嘆いた。それでも自分を変えなければと、気持ちを奮い立たせて新しい職場へ向かい、そのつど跳ね返され、やがて立ち上がる気力を失ってしまったのだ。

 こうした話を聞いているうち、父親の死を言い出せなかった小谷さんの気持ちが少しわかるような気がした。頭では父の死を届け出なければならないとわかっていながら、社会や自身への絶望ののちに20年以上もの間、人との接触を絶って閉じていた心は、そう簡単に氷解するものではない。誰かに相談することは容易ではなかったのだ。