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 その後の調べで、遺体は死後1年から2年が経過していたことがわかった。外出中、携帯に知らない番号から相次いで電話がかかってきたことで、遺体について発覚したことを悟った男性は、警察に逮捕されるのを恐れて自宅には戻らず、漫画喫茶などで時間を潰していたという。

事件に至るまでの「背景」に目を向ける必要性

 検察官「父親が亡くなったと気づいたとき、どう思った?」

 男性「怖かった」

 検察官「何が怖かったのですか?」

 男性「死んでいることが怖かった。どうしていいかわからなかった」

 検察官「それからあなたは10年以上働いていなかったんですよね? 働こうとは思っていなかったのですか」

 男性「働いてもまた辞めてしまうかなと思いました」

 検察官「いつまでもお父さんが生きているわけではないから、今のようにはいかないとは思わなかったんですか?」

 男性「考えませんでした」

 検察官「そもそもあなたのお父さんが怒っていたのはなぜだと思うのですか」

 男性「何もしていないからです」

 検察官「あなたは何を考えて生きていたのですか」

 男性「そのときは、その日がすぐに終わればいいと思っていました……」

 10年以上、自宅とパチンコ店を往復する日々を送っていた男性に、検察官や裁判官から次々と厳しい質問が浴びせられていく。

 男性の心情を推しはかるに、これからの生活にいっさいの希望を見いだせず、「その日」「その瞬間」が早く終わってほしいと考えていれば、数カ月後、あるいは数年後に遺体の放置が発覚するかもしれないと頭ではわかっていても、自ら行動を起こすことにはつながらなかったのだろう。

 なぜこうした考えに至ってしまったのだろうか。

 先に紹介した小谷さんは、職場でのつらい日々や働いていないことへの後ろめたさが折り重なり、心を固く閉ざしてしまっていた。審理を傍聴した、先ほどの男性のケースでは、幼くして母親を突然亡くしたことがその後の人生に大きく影響したように思えた。男性は今後、親族のサポートを受けながら、新たな職を探していくという。執行猶予の付いた判決を受け、法廷の外で親族らと会話を交わす際の表情が、審理中とは変わってやや明るく見えたのが印象的だった。

 法廷は検察官が起訴した被告人を裁判官が裁く場であり、被告人の今後の生活を慮る場ではない。それゆえ、ただただ本人の「負」の側面が浮き彫りにされた印象を受けたが、裁判が終われば、周囲の人が事件に至るまでの「背景」にもっと目を向けなければ、本人の未来にはつながらないと感じた。

【前編を読む】「死んでいるのはわかっていた」「働くことができなかった」…80代父と50代兄の遺体を放置し続けた男性が明かした事件当時の“胸の内”

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