教誨の大きな目的の一つは、受刑者の更生と社会復帰を手助けすることにある。だが、執行を待つ身の確定死刑囚にとって、「社会復帰」という言葉は心に虚しく響くだけだろう。
外部との接触を極端に制限され、国家によって合法的に殺される時がいつやってくるかも知れないという孤独と恐怖にさらされている確定死刑囚にとって、教誨師との語らいは貴重な癒しの時間でもある。同時に、確定死刑囚の心情の安定につながる場として、拘置所側も処遇上のプラスとなる機会としてとらえている。
一方で、教誨師にとって、すがるような気持ちで接してくる確定死刑囚と向き合うことが、相当な心的負担を生むことは想像に難くない。さらに、確定死刑囚を受け持つ教誨師にはもう一つ、重要な役割がある。それが、死刑執行の際に最後の教誨を施すことだ。
3年間の交流を続けた死刑囚の執行日
10年以上の経験がある教誨師の吉永秀樹さん(仮名)は、待ち合わせ場所に指定した喫茶店の一角に腰を据えてコーヒーを注文すると、カバンの中から1冊の手帳を取り出した。やや古ぼけた表紙を手にページをめくっていた吉永さんは、あるページでその手を止めた。
「この日のことは忘れられません」
1週間ごとに予定が書き込める手帳の中から、吉永さんが開いた「この日」の欄には、ボールペンでいくつかのスケジュールが書き込まれていた。
7時タクシー迎え
7時半拘置所着
7時45分拘置所長あいさつ
タクシーは正面ではなく裏門につけられ、人目を忍ぶように建物の中に入る。所長室に通されると、拘置所幹部らと型通りのあいさつを交わした後、やや強ばった表情の所長が口を開いた。
「今日、木田誠に刑が執行されます。最後に教誨をお願いします」
木田誠死刑囚(仮名)は、殺人罪などで死刑が確定し拘置所に収容されており、吉永さんは約3年間にわたって教誨師として交流を続けてきた。所長は慎重に「死刑」という単語を避けていたが、教誨を施してきた相手が間もなく絞首台に立たされる現実を突きつけられ、吉永さんは背中に冷たいものを感じながら「わかりました」と答えるのがやっとだった。