あと最後に象徴的な話を。
戦後、ドイツに流入した最初の難民は「ドイツ人」なんですね。敗戦で失われた東方のドイツ旧領土からの脱出民たちです。日本でいえば満州からの引き揚げ者に近いでしょうか。
ダンツィヒ(現グダニスク)から逃げてきた私の母方の祖先もそのグループの一員で、彼らに対する「本土」ドイツ人たちの冷遇ぶりは(敗戦直後の生活困難という要素を踏まえても)かなりひどいものだったそうです。
そして彼らの生き残り(もう少ないけど)やその心情を受け継いだ家族たちの間は、2015年以降の「あの」難民たちに対して否定的なムードが強かったそうです。「私たちは何もしてもらえなかった。迫害すらされたのに、ドイツ人でもない彼らが親切に面倒を見てもらったり、お金を貰ったりする。何故?」という。
これは旧オストプロイセン難民層だけでなく、ドイツ統一後、不当にも「負け組」の烙印を押されがちになった旧東独エリアの住民にも共通する心情です。
氷河期世代にも似た「見捨てられ感覚」
移民・難民の受け入れについて「おおむね成功だった」と思っているドイツ人の中で、頑強な抵抗を続ける人たちの奥底にある「でも自分たちは社会に救われず、無視され、忘れられた」感。それは日本でいうと、たとえば就職氷河期の「失われた世代」とか、「ゆとり世代」とかラベリングされてしまうグループの共通感情に近いかもしれません。
移民・難民は、意図的にアゲてもサゲても先住民の誰かの怨嗟の、それも解決困難な過去のしがらみに発する怨嗟の対象になりがちです。だからこそ、ポピュリズム時代において、本来からズレた文脈で戦略的にネタ活用されやすいのだろうと思います。
そして移民・難民を混同しがちな日本的言論は、この面でもかなり大きな危険性を孕むといえるでしょう。だからこそ、もし「産業構造の維持のために移民受け入れ必須」という現実的要件が存在するならば、まずは余計な脇道に逸れず、そのための目的合理性を突き詰めた道筋をつくってみてから「是非」や「好き嫌い」を論じないと、様々な意味で本末転倒になるだろうと思うのです。
途中で感情に溺れてしまうと、なんにせよ、狡猾な視点を持った誰かに利用されて不本意な形で終わるしかないわけで。