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 僕は小学校5年生の時、神宮球場にヤクルトスワローズの試合を見に行って、青木(宣親)選手に憧れて野球を始めました。プロ野球選手になりたいと夢見て中学・高校でも野球を続けましたが、だんだん現実が見えてくるなかで、一時期は夢を諦めて医者になろうと考えたこともありました。でも「東大に入って野球を続ける」という友人の話を聞いて、もしここで自分が野球を辞めてしまったら一生後悔するのではないかと考え直し、その友人と一緒に東大野球部を目指すことにしたのです。

 その友人とは東大野球部で4年間を一緒に過ごすことができたのですが、さすがに自分でもプロ野球選手にはなれないということが分かったので、2年生の時に肩の怪我などで現役を引退した後は、スタッフとして野球部に残ることにしました。

 トラックマンのデータを使いこなし、野球部員の運動動作解析やデータ分析をすることで、もっとほかのトレーニングに時間が使えるのではないかと考えたりするのは楽しかったですね。

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プロ野球界を目指したいという気持ちが抑えられなくなって

――データ分析のスキルは、どうやって身につけたのですか?

齋藤 勉強は基本的には独学で、プログラミングを勉強するところから始めました。最初はエクセルも使えませんでしたが、本を読んだり、基本的にデータがフルオープンになっているアメリカ野球界のプロアマのデータを見たりして、研究しました。

 世界トップクラスの大学・機関によってさまざまなコースが提供されていて、オンラインで誰でも無償で利用できる大規模公開オンライン講座MOOC(Massive Open Online Course)は、非常に役に立ちました。

――卒業後、キーエンスでエンジニアとして内定が決まっていたと伺いました。安定より夢を選んだ理由を教えてください。

齋藤 最後の1年間、アナリストとして全力で野球に向き合う中で、どうしても子どもの頃からの夢だったプロ野球界を目指したいという気持ちが抑えられなくなってきたんです。

 プロ野球界に入れる見込みなどどこにもありませんでしたが、チャレンジしない人生よりも、チャレンジする人生を送っていきたいと思ったので、退路を断って覚悟を決めるために内定を辞退させていただき、プロ野球の世界を目指すことにしました。

 

 データアナリストは公式に募集しているわけではありませんし、将来募集があるかどうかも読めなかったので、まずは自分という人間がいることを伝えようと、Twitterやnoteで発信し始めました。

 SNSがきっかけでプロ野球界に入ったアナリストがいるという話は聞いたことがなかったですし、正直どこまで反響があるかは分かりませんでしたが、やれるだけのことはやろうと思って続けていました。