得度の手記を読んだ私は、興奮がおさまらなかった——作家・下重暁子氏による「寂聴と晴美(上)剃髪秘話」を一部公開します。(月刊「文藝春秋」2022年1月号より)

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 1973(昭和48)年11月14日、早朝、私はテレビ朝日「モーニングショー」プロデューサーの小田久栄門さんに呼び出された。水曜日だから、確か私も時々ゲスト出演していた、大島渚の「女の学校」のコーナーがある日だった。

「頼みたいことがあるから少し早めに……」という言葉に、一瞬何事だろうとは思ったが、ともかく仕事だから30分ほど早めに迎えに来た車に乗った。

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「奈良和モーニングショー」は8時半から9時半までの生番組。いつもは7時集合で打ち合わせをする。テレビ朝日は私の住まいから近く、車で10分ほど。6時40分頃には到着した。六本木ヒルズなど高層ビルができる前の旧館1階のガラス窓に、すでに小田久栄門さんの姿があった。

「決して口外しないように」

 自動ドアが開くやいなや、私の腕を取って誰もいない部屋の片隅に連れていかれた。

「内密で頼みがある。瀬戸内晴美さんが今朝、剃髪して尼になる。得度式は10時。その前にモーニングショーの中で瀬戸内さんから預かった手記を読んで欲しい。公表されるのは初めてだ。決して口外しないように」

2021年11月9日、この世を去った瀬戸内寂聴さん ©文藝春秋

 小田さんの言葉には説得力がある。多弁ではないが、否も応もなく命令に従わざるを得ないような。

 私の手に数枚の手書きの原稿が渡された。そして朗読やナレーションをするための狭いブースに閉じ込められた。

 その頃、みちのく平泉の中尊寺のまわりには、噂を聞きつけたマスコミが多く集まって瀬戸内さんの居場所を探していた。どこから情報が漏れたのか。テレビもラジオ、新聞、雑誌、どれも確かなことは知らなかった。

 そこへ朝8時半過ぎからテレビ朝日の番組中に流れた手記の朗読。多くの人が驚いたろう。それを読んだのが私だった。

 なぜ小田久栄門さんは、知っていたか。

 小田さんは剛腕のプロデューサーで、テレビ朝日の看板番組だった「木島則夫モーニングショー」の後、一時低迷したモーニングショーを立て直した人物である。その後、久米宏の「ニュースステーション」をはじめ、「朝まで生テレビ!」などテレビ朝日に報道番組を定着させ、今の民放の報道情報番組の基礎を作ったことでも知られている。当時はまだ1時間番組がほとんどであった。