創価学会は日蓮の仏法を信奉する団体であり、「『生命の尊厳』の確立に基づく『万人の幸福』と『世界平和』の実現」を根本的な目標としている。美しい大義を掲げてきた団体に、いったい何が起きているのか?
忖度しすぎた山口執行部
まずは「10万円給付」が決まったいきさつを振り返りたい。ここに、公明党と創価学会のひとつの病理がみられるからである。
11月10日午前11時半。公明党代表の山口那津男は首相の岸田と昼飯付きの会談に臨んだ。ここで「960万円」の所得制限ラインを確認し、合意に至ったとされる。
だが山口にとって岸田との会談は“儀式”でしかなかった。山口にとってのクライマックスはその直前、創価学会幹部との電話だった。取材した政治部記者が語る。
「岸田との会談の前夜、自民党との交渉役を務める幹事長の石井啓一は、山口を説得していました。すでにワイドショーなどでは『ばら撒き』との批判が出ていたこともあり、創価学会側は『くれぐれも無理しないように』とのシグナルを公明党側に送っていた。石井もそう進言していた。
ところが山口は学会に大きな土産を持っていこうと、『所得制限なし』に固執していた。もともと公明党は学会ファーストの政党だが、執行部の中でもとくに山口はその感覚が強い。学会側は世間の批判に配慮するよう進言したのに、むしろ山口をはじめとする公明党執行部が『所得制限なし』にこだわったのです」
財務省から出ていた「所得制限あり」に公明党が反対する理由は「スピード重視」という建前だった。
「だが、ある程度の年収で線引きをすれば、それほど時間はかからない。首相との会談の朝、山口は学会幹部との電話で、その線で行くことを確認し、会談に臨んだのです」(同前)
このエピソードから透けて見えるのは、学会に過剰とも思える忠義を尽くす公明党幹部たちの有様である。
「創価学会の政治部門を切り離して立党した公明党の代表は、学会からみれば“中間管理職”にすぎない。学会会長の原田稔にとって、山口は頼もしい“部下”という位置づけになる」(同前)
世間の批判を受け止める柔軟性がなく、上の覚えをめでたくしようと忖度を繰り返す――そんな山口の姿は、組織の官僚化をうかがわせる。じつはこの「官僚化」という現象こそ、現在の創価学会と公明党を読み解くキーワードになるのである。