まず足を運んだのは第6サティアン跡地
そもそも私が村に興味を持ったのは、今から10年以上前のことだった。
当時、雑誌で罪を犯した人間の生まれ故郷を訪ね歩くという取材をしていた。その一環として、麻原彰晃の生まれ故郷である熊本県八代市の関係者に話を聞き、彼が逮捕された際に隠れていた上九一色村にあった第6サティアンの跡も訪ねた。
当時は、第6サティアンの場所を訪ねただけで、村の人にじっくりと話を聞いていなかった。そんなこともあり、いつか村人に話を聞きたいなと思いながら、10年以上の年月が経っていたのだった。
12月のある日――この日もかつての上九一色村は、真っ青に澄んだ冬の空をバックに富士山が見事としか言いようがない山容を見せていた。
斜面に広がる村は、牧草地と刈り入れが終わったとうもろこし畑が広がっている。車で軽く走ったぐらいの距離に民家が点在していた。家の周囲には酪農家が多い村ということもあり、牛舎やサイロがある。
村の様子は、富士山を背景にしていることもあり、雄大でこれまで見てきた周辺の地域とは違っていて、本州の山間の村というよりは、北海道のどこかに紛れ込んでしまったような感覚になる。
まず私が足を運んだのが、第6サティアンの跡地だった。
その場所は、10年前とほとんど変わっていないように思えた。
当然ながらサティアンの建物はすでになく、ススキ野原の向こうに雪を被った富士山が顔を出している。斜光を浴びて、透き通ったススキの穂が、秋の風情を漂わせている。サティアン跡には、車が数台止められるスペースがあって、宅配便会社の軽自動車が止まっていた。この場所について知っているかと尋ねようと思ったが、運転席に人の姿はなかった。窓越しに車内を覗くと、後部の荷物を積むスペースで、運転手と思われる男性が横になっていた。
今から約30年前には、警視庁による強制捜査で日本中からの注目が集まり、騒然となった場所だ。だが、今やその面影は残されておらず、作業員の休憩場所となっていた。
第6サティアン跡を通る目の前の細い道路を走っていくと、民家と牛舎が目に入ってきた。第6サティアン跡から一番近い場所に暮らしている住民といっていいだろう。