1995年3月、地下鉄サリン事件が世間を震撼させた。事件から2日後の3月22日に、警視庁はオウム真理教に対する強制捜査を実施し、やがて教団の犯した事件に関与した信者が次々と逮捕された。

 一連のオウム事件では、多くの被害者、犠牲者を出した。その遺族の中には法廷で絶叫する姿もあった。そのときの様子を、傍聴したジャーナリスト・青沼陽一郎氏の著書『私が見た21の死刑判決』(文春新書)から一部を抜粋して紹介する。(全2回中の1回目。後編を読む)

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 判決で、公判中に精神状態に変調を来たすほどの真摯な反省の態度を評価されている廣瀬健一においては、こんなことがあった。

 彼が担当路線で唯一殺害した男性の実娘が法廷にやってきて証言している。サリンを製造した土谷正実に「その両手を切り落としてください」と言い、井上嘉浩に「うっとうしいから呼び掛けないでくれる!」と一喝した、あの女性だった。

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 朝、同じ電車に乗って出かけた父親が殺された。同じ電車に乗り合わせた廣瀬によって殺された。直接殺した犯人が、目の前にいる。それだけで、彼女の雰囲気もこれまでとは違っていた。

 証言の途中から、検察官の質問の意味も言葉も頭に入ってこなくなったようだ。尋問の最後のほうでは、検察官に質問を幾度となく聞き直すようになった。

検察官──……と、思いますか。

「すみません、もう一度お願いします」

──お父さんが、オウムによって殺されなければならないことをしたと思いますか。

「思いません。父が何をしたというんですか。なぜ、父が殺されないといけないんですか。何も悪いことしてないじゃないですか」

──事件についてしゃべらない人、教義を信じていたから麻原に指示されるままに実行したという人、麻原を半信半疑で信じていなかったが断れば懲罰を受ける、それが怖くて実行したという人もいます。あなたは、教義を信じて実行したという人をどう思いますか。

「……すみません。いま、怒りで胸がドキドキしています」

──深呼吸をなさってください。

 いわれた通りに、大きく息を吸い込む証人。

 そこで、検察官は質問を変える。