文春オンライン

「お父さんを、返してぇ~……、お父さんを返してくださいよぉ~ー!」オウム裁判で語られた遺族の思い

『私が見た21の死刑判決』より#31

2021/03/20

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 読書

note

おかしくなった廣瀬

 蒼白になって、ひたすら頭を下げる廣瀬。

 それでも、彼女の泣き叫ぶ声がずっと法廷にこだまして消えることがない。

 やむなく裁判長が言った。

ADVERTISEMENT

「15分、休廷にします」

 それからだった。廣瀬がおかしくなってしまったのは。

 失語症のようになり、弁護人との接見でも言葉を交わせなくなったようだ。聞くところによると、拘置所の中で新聞を読んでいても、例えば「麻雀」という文字が目に飛び込んだだけで「麻原」と読めてしまって身体に異常を来たしていたという。

©iStock.com

 豊田、杉本といっしょの公判にも出て来られなくなってしまい、しばらくは2人だけの裁判が進んでいた。

 そんなある時、どうしても裁判の進行上の手続きの関係で、一度だけ法廷に姿を見せたことがあった。

 廣瀬だけに設けられた特別の法廷。

 その時の廣瀬は、麻原の比ではなかった。

 短髪に整えられていた頭は、四方八方に雑草のように髪がのび広がり、髭も口も喉も見えないほどの剛毛が広がっていた。そして、上半身が硬直してしまったように緊張して、腕も胸のあたりに固まっている。

 そして、裁判長の呼び掛けに、返事をしようと息を吸い込むのだが、声が出ない。そして、思い切って取り憑かれたものを振り払うように、腰から上を前方に勢いよく2度3度と押し倒すのみ。上半身は緊張したまま。それが彼にとって「はい」の返事だった。

「それは、それでいい、ということですか」

 裁判長が確認しても、やはり全身に力を込めて、苦しそうに同じポーズを繰り返すしかなかった。

 ほんとうに、おかしくなってしまっていた。

 こうした廣瀬の裁判の一部始終を見ていた裁判長が横山を裁く。

 ところが、横山にはそうした対象もなかった。

 はっきり、間違いを指摘してくれる存在もなかった。

 事件全体として死者12人全て共同の責任を取るといったところで、やはり林郁夫にしろ、廣瀬にしろ、直接的な被害者の存在の大きさは避けては通れなかった。