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「お父さんを、返してぇ~……、お父さんを返してくださいよぉ~ー!」オウム裁判で語られた遺族の思い

『私が見た21の死刑判決』より#31

2021/03/20

source : 文春新書

genre : ニュース, 社会, 読書

note

黙っていれば死刑なのか

 むしろ、そうした対象があったからこそ、事件と向き合う機会が訪れ、積極的な証言へと結び付いたのかもしれない。

 それともうひとつ。基本的な能力の問題。人間としての器用、不器用の違い。

 林郁夫の反省の弁であっても、感情に飲み込まれそうになりながらも、やはり饒舌に自分のことを物語っているところは無視できなかった。それだけ、説明能力に長けていたことも事実だった。

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 事件について積極的に証言するのに、わかりやすく説明、証言できるだけの能力を持ち合わせていたことも大きかった。

©iStock.com

 では、横山にそうした能力があっただろうか。

 感情に飲み込まれて、自分の世界の中に引きこもってしまう横山に、自分の内面のことから、ひとりで体験した事件の事実関係を説明する能力があっただろうか。

 少なくとも、彼は饒舌なほうではなかったように思う。

 真相は定かでないにしても、横山がいうような取調室での暴力があったのだとしたら、それも本人の自己主張が弱いところに、相手に付け込まれる隙があったのではなかったか。

 ならば──と、証言すること、語ることに積極的でなかった横山の弁護人は疑問を呈するのだ。

 口下手で黙っていれば死刑なのか──?

 積極的に話せば、死刑を回避できるものなのか。

 黙秘権は被告人に認められた権利である。黙っているからという理由で死刑にされようものなら、これを侵したことになる。

 まして、何度もいうように横山は、自分の手で仕出かしたことでは、ひとりも殺してなどいないのだ。

 黙っているから、反省してない。12人全員に対する責任を感じていない。だから死刑だ。

 それならば、最初に自供を開始した林郁夫は12人全体に対して、罪の意識を持てていただろうか。そうでなかったことは、自分の法廷で語っている。

私が見た21の死刑判決 (文春新書)

青沼 陽一郎

文藝春秋

2009年7月20日 発売

「お父さんを、返してぇ~……、お父さんを返してくださいよぉ~ー!」オウム裁判で語られた遺族の思い

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