今から18年前のゴールデンウィーク。白装束に身を包んだ謎の集団に、日本中が注目していた。白い頭巾、白いマスク、白い長靴、そして白衣に身を包んだ集団が、白い車両20台ほどとともに岐阜県の林道を占拠していたのだ。しかも車両には、渦巻き状の独特なマークがびっしりと貼り付けられている。一目で異様と分かる集団だ。
人里離れた山奥で道を占拠する謎の集団に、メディアは引き寄せられた。連日、ワイドショーでは何時間も彼らの姿が生中継され、その一挙手一投足に日本中が釘付けになった。報道陣の執拗な取材に怒った白装束の一員が鏡の盾を持ってきて応戦したり、重機で追いかけて威嚇したりすると、その映像が何度も繰り返し放送され、報道はさらに過熱していった。
あの時、現場では何が起きていたのか。彼らは何者だったのか。そして、その後どうなったのか――。私がこれまで追いかけてきた白装束集団「パナウェーブ研究所」について、最新情報も含めて報告したい。(全2回の1回目/後編に続く)
騒動の前年にすれ違っていた“謎の集団”
白装束集団が日本中のメディアを賑わしたのは2003年のこと。実はその前年の2002年秋、私は一足早く彼らと遭遇していた。
岐阜県在住の私はその日、岐阜県から福井県へ続く国道417号を走っていた。既に日は沈み、辺りは真っ暗だった。徳山ダムの建設予定地を過ぎ、人家から遠く離れた山奥を進んでいると……いきなり、目の前に謎の白装束集団が現れたのだ。
車のライトで照らされた先に見えたのは、真っ白な恰好をした人たちに、見たこともないマークが全面に貼られた車の列。それは思わず目を疑うような光景だった。この集団は明らかに尋常ではない。ハンドルを握りながら、一瞬で全身が恐怖に満たされた。
1週間後に現地を再訪すると……
とはいえ急ブレーキをかけて引き返すわけにもいかない。変な動きをして目立つよりは、このまま走って、自然にすれ違う方が良いだろう。異様な集団を前に好奇心よりも恐怖が勝った私は、彼らの横をノンストップで通過した。
だが数日後、ようやく冷静さを取り戻してからは、あの時写真を撮っておけばよかったと後悔した。彼らは一体、何者だったのだろうか……。気になって仕方がなくなった私は1週間後、再び現地を訪ねたが、既に彼らの姿は跡形もなく消えていた。