今から18年前のゴールデンウィーク。白装束に身を包んだ謎の集団に、日本中が注目していた。白い頭巾、白いマスク、白い長靴、そして白衣に身を包んだ集団が、白い車両20台ほどとともに岐阜県の林道を占拠していたのだ。その前年、ドライブ中に偶然白装束集団とすれ違っていた私は、テレビで彼らの姿を目にすると、すぐさまカメラを持って現地に向かった。
2003年5月10日、彼らが福井県の本拠地へ帰還したことで、大騒動は幕を閉じた。だがそれからも、白装束集団はメディアの目を避けるように、ひっそりと活動を続けていたことは、あまり知られていない。彼らは一体何者だったのか。私がこれまで追いかけてきた白装束集団「パナウェーブ研究所」の“その後”について、最新情報も含めて報告したい。(全2回の2回目/前編から続く)
騒動の3ヶ月後に起きた傷害事件
私が追いかけていた2003年5月の10日間、コンビニ等でパナウェーブ研究所の人たちとバッタリ鉢合わせることも何度かあった。やはり電磁波を気にしているのかと思いきや、彼らは普通に携帯電話で通話したりしていた。キャラバン隊の中には、教祖・千乃裕子氏の主張を信じている人もいれば、おかしいとは思いながらも仕方なく従って活動している、我々と変わらない感覚の人たちもいる――そのように感じた。
千乃裕子氏にもぜひ会って話を聞きたかったが、彼女が車から降りることは一切なく、接触することはできなかった。
5月10日には、日本中のメディアを騒がせた大移動が終わり、白装束集団は本拠地に落ち着いた。しかしその後、施設内では傷害事件が起きている。騒動の3ヶ月後、2003年8月に1人の信者が熱中症と外傷性ショックにより死亡し、後に別の信者5名が傷害容疑で逮捕された。
また、2004年にはカラスに餌付けして、近所とトラブルにもなった。その度に一応報道はされていたが、扱いは小さなものだった。さらに時間が経てば、話題に上ることさえなくなっていた。
メディアの“熱狂”は正しかったのか?
施設内で傷害事件が発生している以上、教団が抱える粗暴性は否定しない。しかし、キャラバン隊が活動していた当時、彼らは他人に危害を加えてはおらず、犯した罪といえば道路交通法違反だけだった。
だが、多くのメディアは現場の声ではなく、警察庁長官の「初期のオウムに似ている」という発言ばかりを報じ、「おかしな恰好で、おかしな主張をする」彼らに執拗にカメラを向けた。そして、ついには我慢できずにキレた信者の様子を繰り返し放送した。林道を占拠したり、フロントガラスに渦巻き模様を貼り付けるというのは、確かに違法行為なのだが、一方でメディアの報じ方にも問題があったように思う。