「話せば悪い人たちじゃない、いい人たちだよ。フロントガラスに貼った(渦巻き模様の)ステッカーは、彼らなりの考えでどうしても剥がせんというので、それで違反だ検挙だとやってたらここから動かない。ある程度お互い妥協して、動いてもらわないと。今日退去するという約束も、守ると思うよ」
そんな話が聞けた。この時、東京では警察庁長官がパナウェーブ研究所について「初期のオウムに似ている」と発言し、報道各社は凶悪なカルト集団として彼らを扱う論調になっていた。それに比べて現場の警備主任の発言は、大きく印象が異なるものだった。
スカラー電磁波とタマちゃん
私としても、それまで見てきた印象は、警備主任に近かった。彼らの主義主張は全く理解できないが、かといって悪い人たちでもないと感じていたのだ。特異な外観と思想を持っており、もしかしたらカルトかもしれないが、少なくとも凶悪な集団ではないだろう――。
6時から始まった記者会見には、千乃裕子会長ではなく、長谷川代表をはじめ3名の男性が現れた。山梨に向かっている目的や、スカラー電磁波などについて説明がなされた。また、当時、多摩川に出没し話題になっていたアゴヒゲアザラシのタマちゃんに彼らは餌やりを行っていたのだが、そのことについても説明があった。動物に餌をやる気持ちは確かに分かるが、本当にネタの宝庫みたいな集団だと感じた。
それから移動を再開した白装束集団は、7日には長野県を経て、いよいよ山梨県へと差しかかっていた。しかし、目的地である大泉村に入る道路を県が全て封鎖。入村を拒否されてしまった。これには白装束集団もなす術がなく、福井県にある本拠地への撤退を余儀なくされた。こうして、今度は山梨から福井への大移動が始まった。
移動先ではお祭り騒ぎに
5月8日の早朝、私は長野県茅野市で、福井県へと向かう白装束集団を待ち構えていた。前夜に仕事を終えると、その足で長野に向かった。
だが、日を追うごとに報道陣の数も膨れ上がっており、現地はお祭り騒ぎになっていた。一行が県を跨いで移動していたため、キー局に加えて岐阜、長野、山梨、そして福井のローカル局も中継車を出して追跡していたのだ。この時点で、報道陣の数は数百人、車両は計100台にはのぼっていたと思う。
沿道では報道陣や警察のほか、消防団や役場の職員も総出で警戒にあたっていた。そしてテレビ中継を見た一般市民も駆けつけていた。待ちに待った白装束の車列が通り過ぎると、メディアによっては“凶悪なカルト集団”と報じられていたにもかかわらず、沿道の人々はみんな、なぜか手を振っていた。それに応えるように、渦巻き模様が貼られた車の中で、白装束の人たちが会釈している。もう、何が何だか分からない。