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 キャラバン隊の車は主に2タイプに分けることができ、渦巻き模様が大量に貼り付けられたワゴン車と、渦巻き模様はないがリアに「ストーカー車追跡中」と書かれた四駆車があった。千乃裕子会長が乗っているワゴン車には、ひときわ多くの渦巻き模様が貼り付けられていた。

 この集団に対するストーカーがいるとは思えないが、「ストーカー追跡専用車両」が複数台存在していたことを考えると、電磁波攻撃の件といい、どうも被害妄想の傾向があるように思えてならなかった。実は後に、この車に私も追いかけられることになるのだが……。

千乃裕子会長が乗っていたとみられる車両(2003年撮影) ©鹿取茂雄
「ストーカー車追跡中」と書かれた車両も(2003年撮影) ©鹿取茂雄

“騒動終結後”のパナウェーブ研究所

 一行は再び岐阜県を経由すると、9日には福井県の本拠地近くに達した。しかし、県道から本拠地へ入る道が舗装されておらず、これでは電磁波が発生するため進むことができないと主張し、やむなく、近くにあった休校中の小中学校の校庭で停車した。

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 自分たちの本拠地なのに、今さらそんな理由で入れないとはどういうことなのか理解に苦しんだが、翌10日、急に解釈が変わったのか、一行は再び移動を開始。町内会とも合意し、遂に本拠地へと帰還した。こうして、大騒動は幕を閉じたのだった。

休校中の小中学校の校庭に一時滞在したキャラバン隊(2003年撮影) ©鹿取茂雄
校庭では琵琶を弾くメンバーも(2003年撮影) ©鹿取茂雄

 多くの人たちにとって、パナウェーブ研究所に関する記憶はここで終わっているだろう。だが、彼らはその後も本拠地で活動を続け、私はその姿を追い続けた。施設内での死亡事件、信者の逮捕、教祖・千乃裕子氏の死去を経て、現在のパナウェーブ研究所はどうなっているのか――。私は福井県の山中にある、彼らの本拠地へと向かった。

後編に続く

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。