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「まさかここで化学兵器や武器を作るとは…」オウム真理教が旧上九一色村に作った“31のサティアン”「その後の話」《強制捜査から26年、現地ルポ》

「まさかここで化学兵器や武器を作るとは…」オウム真理教が旧上九一色村に作った“31のサティアン”「その後の話」《強制捜査から26年、現地ルポ》

上九一色村――オウムが棲んだ村#1

2021/12/19

genre : ニュース, 社会

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『オウムには武器があるかもしれないから、避難してください』

 第6サティアンができてから間もなく、荒井さんは自宅から指呼の間にある第6サティアン周辺で不審な動きをする信者たちを目にしたという。

第6サティアンの概観。さきほどのすすき野原と同じ場所とは思えない ©️竹内精一
強制捜査後のサティアン内部の様子 ©️竹内精一

「なぜか風船のようなものを飛ばして、落ちた場所に信者が走って拾いに行くんです。他にも防毒マスクをして車を運転していたり、不気味な動きが目立つようになったんです。驚いたのは、強制捜査のあとですよ。いろんなことが明るみに出たじゃないですか。防毒マスクや風船を飛ばしていたのは、色んな実験をしていたんだとわかって、びっくりしましたね」

――強制捜査の日は、どうされていたんですか?

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「『オウムには武器があるかもしれないから、避難してください』と警察から言われたんです。それで捜査が入る前日に、親戚の家に避難したんですよ。それでもこの仕事は、朝と夕方には搾乳をしないといけない。それで朝早くに戻ってきたんです。おそるおそる搾乳をしていたら、牛舎の上をこれまで見たことのない、何十機ものヘリコプターがぶんぶん飛んでいたんです。マスコミが空から撮影していたんだと思いますが、『えらいことになったな』と思いましたね。

 それから、今度は機動隊の車がどんどん入って行って…最後に取材陣のハイヤーや報道車が何十台とこの道に駐車していましたね。強制捜査から数日は、マスコミでいっぱいで、ハイヤーの運転手さんは暇でやることないから、まだ小さかったうちの子どもたちを学校に送ってくれたりしましたね。今じゃ笑い話になるけど、当時は本当に大変だったね」

強制捜査後のサティアン内部。麻原元死刑囚の写真も見える ©️竹内精一

 時の流れは荒井さんの心に宿っていたとんでもない悲劇をいつしか、喜劇に変えたのかもしれない。というのは、荒井さんは26年前の惨事を軽妙な語り口で話してくれたからだった。

 荒井さんは、強制捜査の前、言わばご近所さんだった麻原彰晃の姿もたびたび目にしていたという。(#2へ続く)

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。

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