「死にゆく者」に向き合うおだやかな時間
思い起こせば、私がキャスターとして担当したニュース番組「ザ・スクープ」(テレ朝)の初回、2000年4月1日のテーマが「介護保険制度がスタート」だった。あれから21年が経ち、地域の連携システムや介護のプロ育成など、制度がかなり成熟したことを図らずも実体験することになった。財政や人材不足などまだまだ課題の多い介護保険制度だが、高齢化社会にあって、政府には縮小することなく維持する仕組みをなんとか構築して欲しい。
在宅介護初心者の私による拙い介護で母にとっては災難だったかもしれないが、私にはゆっくりと母の死を受け入れていくかけがえのない時間となった。母の最期に寄り添っていると、天寿を全うするということは、周りにいる人間に心の準備時間を十分に与え、別れの悲しみを穏やかにしてくれる施しなのだと感じる。だから自分を大切に思う人たちのために人間は命を粗末にしてはいけないのだと。
一日中「死にゆく者」に向き合うことで、なんということのない日常の風景をとても美しいと思うようにもなった。真っ青な空や、夕暮れに散歩をする人たちのシルエット、街中の混雑さえ「生」ということはこれほどまでに美しいことなのだと。
そろそろ母との別れの瞬間が近づいてきたようだ。徐々に弱くなる母の呼吸を聞きながら、あれほどまでに母を失うことを恐れて生きてきた私はとても穏やかである。長生きしてくれてありがとう。晩年、母は老いた自分を天国の父がわからないのではないかと本気で心配していた。どうか天国では、父が母だとわかるように若くて美しい姿で再会できますように。それだけを母の枕元で祈っている。
【追記】ここまで母の枕元で書いた数時間後、母は旅立った。92歳、在宅での大往生だった。早世した父のように、世の中には早すぎる別れや理不尽な別れも多くある中で、母については恵まれた看取りだったと思う。それでも水を飲むことができず、喉が乾いているであろう母に、唇をただ不器用に濡らすことしかできず、もし病院だったら、もし介護のベテランだったら、もっと心地良く母を送ることができたのではという悔いで未だに夜中に眠れなくなる。どんな形であれ大切な存在との別れは人間にとって本当に難儀だ。それでも旅立つ者の想いは残された者の幸せにあると信じて楽しく生きていくことが供養というものなのだろう。