徳川慶喜終焉の地・小石川第六天町の徳川邸。建物だけで約1300坪、敷地に至っては約3400坪ともいわれるそんな大豪邸で、“最後の将軍”の孫娘・井手久美子さんは育った。幕末の記憶も残る時代……。彼女の過ごした、文字通り「本物のお姫さま」の生活とはどのようなものだったのか。
2018年に出版された『徳川おてんば姫』(井手久美子著・東京キララ社)より、一部を抜粋して引用する。
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「本物のお姫さま」のお正月
お正月の楽しさは格別なものでした。元旦は、家令を筆頭に表の人たちが母が待つ奥に新年のご挨拶に訪れ、姉と私もそこで待っていました。また、多くの親戚も年賀に訪れます。
親戚はほとんどが徳川か松平で同姓ですから、「林町様」や「千駄ヶ谷様」といったように屋敷のある場所だったり、「紀州様」とか「越前様」といったような呼び方をしていました。
台所が一番賑やかになるのもお正月です。オーブンで焼いた鴨で作る、とってもおいしい鴨雑煮から始まり、鱈と昆布のお吸い物、お刺身、鴨焼き、蒲鉾、玉子焼き、酢の物、お煮物など、何しろお客様にも御膳をお出しするため数十人分ものご馳走を用意するのですから、コックさんも目が回る忙しさだったと思います。
大人は大きなお茶碗とお椀で、私たちは可愛らしい朱塗りに金の御紋入りのお茶碗とお椀で頂いていました。伊勢海老のお飾りを飼っていた猫が狙うので、お正月はそれを見張るのもお次のお仕事でした。
鴨雑煮を食べた後の楽しみは、何と言っても百人一首です。普段はお付きの者や姉と数名でのカルタ取りですが、お正月は大勢いる従兄弟たちとの対戦になりますから、面白くないわけはございません。
お正月の間は、従兄弟の屋敷に呼ばれ出かけることもありましたが、そのときもカルタ取りに皆夢中でした。1枚の札めがけて何人もが殺到するわけですから、手に汗握るというよりも、血がにじむほどの激しいものでした。皆が真剣そのものだからこそ愉快だったのでしょう。