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読者を旅へといざなう“松本清張ならでは”の小説描写…乗り鉄が語り尽くした清張作品のスゴさとは

『清張鉄道1万3500キロ』より #1

2022/01/04

source : 文春文庫

genre : エンタメ, 読書,

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旅は時空間を超えるトンネル

 石井自身が旅をしたかったのであろう。上京して、住み込み店員で働いたが、失職。日雇い仕事や売血もした挙句、胸を病み、ついに犯罪に手を染めた。共犯者に「故郷に帰りたい」「昔の女がひとの女房になって九州の方にいる」と語っていた。

 明日への夢はあるのだが、日々の暮らしはまだ苦しい時代。どこか遠くへ行きたい。読者は、瀬戸内海沿いを西に進む犯人と刑事を、どこか羨ましく捉えたのではなかろうか。

 柚木や石井のように、長時間、長距離の旅をすると、乗車駅と降車駅とでは、時間も空間も大きくかけ離れる。列車は異なる時空間をつなぐタイムトンネルの効果をあわせ持つ。時刻表の元データで、列車の運行計画がひと目でわかるダイヤグラムがまさしくそうなのだが、縦軸に列車の移動区間、横軸に時間の流れという図を作れば分かりやすい。列車はある駅のある時間から別の駅の別の時間まで、点と点をつなぐ線で表される。縦軸(移動区間)は、人の意思で行ったり来たりできるが、横軸(時間)は、過去→現在→未来と流れていく一方通行である。しかし、列車に乗っていると、心理的には時間を遡ったり、未来にいち早く到着したりする。『張込み』の場合、石井はさだ子と愛し合った過去への旅をしており、柚木は容疑者逮捕という未来に向かっている。列車の中でも、降りてからも、逮捕の瞬間まで、2人の意識には時間的に反対のベクトルが働いている。

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©️iStock.com

 只今現在という車窓を見ながらも、来し方行く末のことを考えている。そのことにはっと気付く時、「そうだ。今、旅をしているのだ」と再認識する。なぜ、眼前の景色とは別のことを考えていたのだろう。そう思うところから旅情が深まってくることもある。

 この現象を頭の片隅に置いていると、清張作品の旅の場面は魅力を増してくる。

 旅情を人に伝えることは難しい。景色を描くだけでなく、初めての線区か否か、旅の目的、その前後の喜び・屈託など様々な要素も必要である。