「乗り鉄」を魅了する路線
清張以外で成功している例を紹介したい。中央公論社常務だった宮脇俊三(1926~2003)は、乗り鉄者としても有名だった。国鉄全路線乗りつぶしを書いた『時刻表2万キロ』や北海道から鹿児島まで、同じ駅を決して二度と通らない路線をたどる『最長片道切符の旅』は、名著の評価が高い。こんな文章が私には印象的である。
東京発20時24分の新幹線で出かけ、名古屋から電車寝台特急「金星」に乗り継いで翌朝5時49分、広島に着いた。
広島からは芸備線で三次に入り、さらに三江線で江川の上流可愛川に沿って口羽に向かう。
空は青いが川面には淡く靄がただよい、嵐気が山峡を包んでいる。きのうの夕方はあの慌しい東京にいたのに、一夜明ければこの別世界である。飛行機を常用している人から見れば、そんなことは日常茶飯のことであろうが、私は夜行列車に乗るたびにそれを感じる。大げさに言うと魔法にかかったような気さえすることがある。
それにしても、年月の経つのは早いと思う。可愛川を眺めているとそう思う。三次―口羽間に乗るのは今日が二度目で、五年ぶりなのであるが、とても五年経ったとは思われない。つい去年のことのように記憶が新しい。
旅行をしていて何年ぶりかに同じところへ来ると、いつも時の経過の早さが身に沁みる。街の場合はそれほどでもないが、相手が山や川だと時のスケールがちがうせいか、こちら側の時間が短絡する。五年前の自分の周辺をいやでも振り返らされる。下の娘は生まれたばかりだったなと、匍いまわる姿を思い出したりする。死んだ人たちのことも思い出す。そして、この五年間、あくせくと過ごしたものだと思う。できることなら、五年前に戻ってもう一度やりなおしたい、などと夢想する
(河出文庫『汽車旅12カ月』)
後半部分、石井が佐賀へ向かう心象と相通ずるものがある。
三江線は、広島県の三次盆地から江の川(別名可愛川[えのかわ])沿いに日本海側の江津に至る。
車窓にはベンガラ色の石州瓦の農家が続く。本州なのに、今なお東京から日帰りの乗りつぶしができない稀有な線区の時代があった。山陽新幹線を降りてからもう一つ乗らないと乗車駅まで行けないし、運行本数が極端に少ないからだ。それが逆に首都圏の乗り鉄を誘うのか、私が10年7月に乗った時も彼らの姿が相当数見られた。だが、18年春に廃線となった。
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