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時刻表マニア=「机上鉄」

 安田は、石田部長が列車や船に乗っている間に飛行機で東京→福岡(板付)→東京→札幌と移動した、というのは余りに有名なトリックである。某省の汚職事件に取り組んでいた警視庁捜査2課の三原紀一警部補はそれが可能だと見破った。進化し、多様化する清張の鉄道トリックに「空陸差し替え型」というパターンが加わった。飛行機はジェット化されておらず、プロペラの時代であった。

 攻防はさらに続く。空路で札幌に行けば、青函連絡船の乗船客名簿に安田の名前はないはずだ、と三原は考える。だが、安田自筆の名簿が残っていた。一方、安田は3回にわたって飛行機に乗っているのだから乗客名簿を当たれば、偽名を使っていても浮かび上ってくるはずである。種明かしは、石田部長が手配し、(1)青函連絡船は予め安田が書いた名簿を部下に持たせた(2)飛行機は出入りの業者に「自分が乗った」と証言させた、ということである。同行した部下自身の乗船客名簿がないというのが、突破口となった。

 「身代わり乗車(乗船/搭乗)」というトリックになるのであろう。

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 安田の妻亮子の役割を書き落としていた。「あさかぜ」に乗り、熱海で降りた女中のお時は、亮子の指示で熱海に泊まっていたが、殺害される前夜女2人で博多まで旅行する。そして、香椎への2組のアベックが出来たのだ。亮子は病弱で、安田とお時が愛人であることを許しており、その関係でお時と顔見知りだった。

 三原警部補は、亮子が事件に関与しているという予感があって、鎌倉の自宅を訪ねる。

 横須賀線の大船から鎌倉までの4.5キロ、江ノ島鎌倉観光電鉄(現在の江ノ島電鉄)鎌倉―極楽寺2.4キロは三原が一番乗りした。

©️iStock.com

 三原はここで、亮子の書いた随筆「数字のある風景」を目にする。鉄道トリックは亮子が考え出したものではないか、と思い当たる。

 「時刻表マニア」という言葉が廃れて久しい。昭和30~40年代には結構聞かれた。旅に出たいが、金も暇もない。せめて時刻表をめくっては旅に出た気持ちになろう、という人々である。予定もないのに、毎月の時刻表を買う。ダイヤ改正の時は当然精読するので、盆暮れ、行楽期の臨時・季節列車にも詳しくなる。今でいう乗り鉄とは少し違う。机上鉄とでもいうべき人々である。

 亮子は病床で時刻表を繰る人である。随筆の一部を紹介しよう。

《時刻表には日本中の駅名がついているが、その一つ一つを読んでいると、その土地ローカルの風景までが私には想像されるのである。それも地方線の方が空想を伸ばさせてくれる。豊津、犀川、崎山、油須原、勾金、伊田、後藤寺、これは九州のある田舎の線の駅名である。新庄、升形、津谷、古口、高屋、狩川、余目、これは東北のある支線である。私は油須原という文字から南の樹林の茂った山峡の村を、余目という文字から灰色の空におおわれた荒涼たる東北の町を想像するのである。私の目には、その村や町を囲んだ山のたたずまい、家なみの恰好、歩いている人まで浮かぶのである》