98年、ヤクルト監督を退任した際のVTR映像を作ったのも、戌亥だった。10分間の映像を作るのは容易ではなかった。1965年、三冠王を獲った当時のインタビューに始まり、2019年のヤクルト設立50周年イベントで打席に立った場面、亡くなる直前のヤクルトOB会の様子まで――TBSや関西テレビなどのテレビ局のみならず、関係者の個人映像まで借りに行った。
「ノムさんへの思いを持っている人たちの協力のおかげで、できあがりました。難しかったのは、シダックスを含め、野村さんが関わった7チームのバランスを取ること。ノムさんと一緒に、どの選手や監督を登場させるかを考えること。できるだけ中立に、を心がけました」
仕事の合間を縫って、戌亥は7日間をかけて作った。お茶目さ、笑顔、柔らかさと同時に、野球に対する真摯な思い、ファンへの誠実さも感じさせる内容だった。
「まだ駆け出しのADだった自分が3日間、徹夜をして作ったのが、98年のヤクルト監督退任の映像でした。今回、キャリアを積んで、ノムさんの全貌が分かる映像をじっくり作り込めると思いました。思いを持って表現した映像を見て、涙している人もいました。
これはお金をもらうわけでもないし、担当者の名が入るわけでもない。これをやらせてくれたのは、ノムさんのお人柄ですよ。『思いを持ってできる』ことの幸せを感じました。使命感を持ってやりました」
野村の座右の銘である言葉【念ずれば花開く】が好きだ、と戌亥は明かした。
「だから、この言葉を98年のVTRには入れたんです。9年間のヤクルト監督人生は、まさにこれがテーマだと思いましたから。今回のVTRは、『人を遺す』をテーマにしました。今季、ヤクルトが日本一になった。高津監督との関係性も描きました。死後、なおも功績を遺している。ノムさんが遺した人が、ノムラ野球を継承しているんですから」
奇跡の1枚
神宮球場のバックスクリーンにある大型ビジョンに流されたVTR映像。冒頭と最後には、着物姿の野村が登場する。畳に正座をして、正面をまっすぐに見て笑っている。実は、この写真は、拙著『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』の表紙カバーに載せたものである。
2021年5月、野村家に出向き、翌月に出版する書籍の表紙にする写真を借りに行った。いい写真はすでに他の書籍で使われている。しかも、出版社の担当編集者、向坊健からは“注文”があった。