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「野村さんの温かみ、優しさが伝わるもので、あまり若すぎない、ふっくらとした笑顔の、世の中の皆さんが思い浮かべる“ノムさん”という感じの写真がいいです」

 ユニホームを着た良い表情の写真があったが、選ばなかった。私の中で、「この本は、野球の本ではない。描きたかった本質はスポーツではない。一人の人間がいかに生きるか、どう人生を締めくくるか、それがテーマだ」と考えていたからだった。

 膨大な写真の山を1枚1枚丹念に見ながら、時に泣き、時に笑いながら、見た瞬間「これだ」と思った。家族も存在を知らなかった奇跡の1枚だった。

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 不思議である。100冊を超える著作がありながら、なぜこの1枚は、ずっと人目に触れずに残っていたのだろう。

 映像VTRを作った戌亥は言った。

「飯田さんの本を読んだとき、いい写真だな、と思いました。あの本があったから、このVTRになったんです」

遺された野村チルドレンの思いがつながった瞬間だった。「野村克也をしのぶ会」は、〈野村が遺した思いと人々との絆〉を再確認する時間になった。
 

写真:著者提供

“ノムさん”が遺した【感謝、感謝、感謝】

 しのぶ会も終盤となり、献花の番がやってきた。思いがこみ上げて、頭が真っ白になりながら、私は心の中で大声を出した。

「監督、たくさんの人が来ていますよ!監督のために、皆さん、やって来たんですよ。だから言ったじゃないですか。『監督は愛されている』って。良かったですね」

「人望がない。愛されていない。嫌われている」。繰り返しぼやいた本人に、“野村の分析”は間違っていることを突き付けた。

 師走だというのに、気温が15度以上もあり、温もりを感じた日。祭壇を撮影すると、何枚撮っても太陽の光が差し込んだ。まるで列席者を見守っているかのようだった。

写真:著者提供
写真:著者提供
稲葉篤紀氏(右)と筆者 写真:著者提供

 その夜、シダックスのマネージャーだった梅沢直充と電話口でしんみり振り返った。

「穏やかな冬の日でしたね。風もないし、太陽が出ていた。監督はひまわりだったんだ、そう思いました。『ひまわりになれ』。そう監督の声が聞こえた気がするんです」と梅沢は恥ずかしそうに言葉を選びながら、同意を求めた。

 私は梅沢に訊いてみた。

「監督の言葉って、自分が置かれたそのときの年齢や状況で心に響く言葉が違うんですよね。きょう、どの言葉を最も強く思い出しました?」

 2人とも同じだった。

【感謝、感謝、感謝】

 冬だというのに、穏やかで暖かい日だった。野村はいなくなったわけではない。それぞれの心の中に、それぞれの“ノムさん”が遺っている。

写真:著者提供

遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと

飯田 絵美

文藝春秋

2021年6月28日 発売