「野村克也をしのぶ会」。コロナ禍のため当初予定より2年近くも遅れながら、ようやく実施が叶った。
野村が選手、監督として所属したプロ野球6球団が発起人に連なる、という前代未聞の催しの舞台裏に、『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』(文藝春秋)の著者でジャーナリストの飯田絵美が迫った。(全3回。#1,#3を読む)
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ユニホームを脱いでからが勝負だ
「野村克也をしのぶ会」には、ヤクルトの元エースで今は投手コーチの伊藤智仁も参列していた。彼はテンポよく言葉を紡いだ。
「きょうの会、良かったですね。球場で、天気も良くて。なんだかノムさんにしては爽やかな雰囲気の会になりましたよね。『できて良かったな』と。ずっとそのことを思っていたので……。色々な人に会えて、さすがだな。だって6球団主催ですよ。羨ましい限りです。
あれだけのメンツがそろって、阪神とウチ。矢野監督と高津監督。野村さんに育てられた捕手と投手。同じ教え子同士が監督として優勝争いができて、いい年になったな、そう思いましたよ」
短く区切って発する言葉は、淡泊に聞こえるかもしれないが、そこに深い愛情があるのが、手に取るように分かった。
野村が亡くなったあの日、ヤクルト時代の選手たちから私のもとに電話がかかってきた。みな一様に「本当なの?」とその死が現実なのか、信じられなかった。伊藤もその一人だった。
「大丈夫ですか? まだ信じられへんね」
そう言うなり、伊藤は絶句した。わずか1カ月半前、我々はノムさんを囲んだ食事会を都内で開き、楽しくクリスマスを過ごしたのだから。