昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「60歳を過ぎてヴェルサーチとかバリッと着ていたら、何かやってくれそうな気がするやろ」《野村克也をしのぶ会》で新庄剛志ビッグボスが“明るいグレー”のジャケットを着た“真意”

2021/12/23

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, スポーツ, 社会, 読書

「野村克也をしのぶ会」。コロナ禍のため当初予定より2年近くも遅れながら、ようやく実施が叶った。

 野村が選手、監督として所属したプロ野球6球団が発起人に連なる、という前代未聞の催しの舞台裏に、『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』(文藝春秋)の著者でジャーナリストの飯田絵美が迫った。(全3回。#1,#3を読む)

◆◆◆

写真:著者提供

ユニホームを脱いでからが勝負だ

「野村克也をしのぶ会」には、ヤクルトの元エースで今は投手コーチの伊藤智仁も参列していた。彼はテンポよく言葉を紡いだ。

97年の日本シリーズに登板した伊藤智仁 ©文藝春秋

「きょうの会、良かったですね。球場で、天気も良くて。なんだかノムさんにしては爽やかな雰囲気の会になりましたよね。『できて良かったな』と。ずっとそのことを思っていたので……。色々な人に会えて、さすがだな。だって6球団主催ですよ。羨ましい限りです。

 あれだけのメンツがそろって、阪神とウチ。矢野監督と高津監督。野村さんに育てられた捕手と投手。同じ教え子同士が監督として優勝争いができて、いい年になったな、そう思いましたよ」

 短く区切って発する言葉は、淡泊に聞こえるかもしれないが、そこに深い愛情があるのが、手に取るように分かった。

会場となった明治神宮球場で 写真:著者提供
写真:著者提供

 野村が亡くなったあの日、ヤクルト時代の選手たちから私のもとに電話がかかってきた。みな一様に「本当なの?」とその死が現実なのか、信じられなかった。伊藤もその一人だった。

「大丈夫ですか? まだ信じられへんね」

 そう言うなり、伊藤は絶句した。わずか1カ月半前、我々はノムさんを囲んだ食事会を都内で開き、楽しくクリスマスを過ごしたのだから。

関連記事