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「監督を囲む会のとき、あんなに元気やったのに…。野村さんがいなくなってしまうなんて、信じられない」

 涙声でお互いに思い出を語り合っていたら、あっという間に1時間半が経っていた。

「厳しい人だったけど、ほんま、お茶目な人やったよなあ。可愛らしいと言ったら失礼やけど、ユーモアもあって。あんな風に年を重ねていきたい。そう思ったよ。お互いにあんなおじいちゃん、おばあちゃんになろうな」

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 そう声を震わせていた彼だから、今回、「しのぶ会」を開催できたことへの万感の思いが伝わってきた。

 同じく野村ヤクルトでエースだった川崎憲次郎は、しのぶ会に出席するため、久しぶりに神宮球場へ出向き、不思議な高揚感を覚えたという。

「いい雰囲気だったね。同窓会みたいな。やっぱり、いいよ、当時のメンバーは。嬉しさや悔しさをみんな一緒に味わっているから。

 オレは、監督にまるまる9年間お世話になった。常に思っているのは、『ノムさんがいなかったらオレはいない』ということ。その思いがめちゃくちゃある。やっぱり夢を叶えてくれた人だから。プロ野球に入ったとき、『最多勝を絶対取りたい』と思った。その夢を叶えてくれた」

発信力の重要性

 50歳を迎えた川崎は、野村から口を酸っぱくして言われた言葉が、血となり肉となっている。

ヤクルトスワローズ在籍時の川崎憲次郎投手 ©文藝春秋

【野球人である前に、まず人としてどうあるべきか】

【ユニホームを脱いでからの人生の方が長いんだぞ】

「その2つをよく覚えているよ。だからこそ、マスコミの取材は積極的に受けなさい、表に出なさい、名を売りなさい。そう言われたんだと解釈している」