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「古田の弔辞な、『厳しい』という言葉を3回言っていたな。会が終わった後、『おまえさん、5回くらい言うかと思ったぞ』と冗談で古田に言ったんや。ノムさんのあの厳しさは、古田に対しての期待の表れだったし、チームを強くするためには、どうしても古田が必要だった。厳しさはその証」

ヤクルトでは日本一にも輝いた ©文藝春秋

 叱るという行為は、そこに愛情がないとできない。自身と同じ「捕手」は「監督の分身」と位置付けて、持てるすべてを古田に注ぎ込んだ。

 伊藤も言った。「僕らの先生はフル(古田)さん。監督はフルさんに言う(叱る)。フルさんは僕らに教える。そういう流れだった」

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 息子の克則が挨拶で言ったように、~息子の克則が挨拶で言ったように、「勝てば投手の手柄、負ければ捕手の責任」という重みを、古田は一身に引き受けた。

それぞれが監督との約束がある

 東京オリンピックで日本を金メダルに導いた稲葉篤紀はこの日、スーツケースを引いて北海道からやって来た。私の顔を見るなり、稲葉は“幻の約束”を口にした。

稲葉篤紀(右)と筆者 写真:著者提供

「監督と一緒に食事をする機会。あのとき、行ければ良かった。監督が亡くなったとき、ほんと、そう思いましたよ」

 恩師・野村を囲んで、教え子の選手や記者が集まる食事会が開催されたのは、2019年12月のことだった。企画した私は、懐かしいヤクルトの選手たちを電話で誘った。稲葉にも連絡を入れたが、彼は残念そうに断った。