「谷本は年齢が一番上やった。真面目で職人気質でむやみやたらにペラペラ喋らないタイプ。親父さんの工場での経験もあって、技術は他と比べ物にならないくらいずば抜けていた。最初はアルバイトでしたけど、あっという間に正社員になったくらいですから」
数年間、順風満帆な職人生活が続いたが、2008年7月に「他にやりたいことがあるから、辞めさせてもらう」と突然退職したという。同年秋には離婚していることから、プライベートの問題に悩まされていたのかもしれない。
「でも翌年8月には『やり直したい』と再び現れたんですよ。技術はあるし真面目でしたから雇いましたが、1年くらいで音信不通になって退職した。以降は、付き合いはまったくなくなっていました」(同前)
そして時を経て起きたのが、北新地ビル放火事件だった。社長はこの事件の犯人が谷本容疑者であると知ったときには「驚いた」というが、こうも証言するのだ。
元職場での評判「カチンとくると顔を真っ赤にして…」
「谷本とクリニックの先生の間でトラブルがあったんじゃないでしょうかね。あいつはカチンとくることがあるからね。うちに勤めているときに注意することもあったんですけど、谷本は納得いかないときはカチンときてね。『なんだと!』と顔を真っ赤にして食ってかかってきたこともありました。夕方にトラブルがあって、『こんなんやってられん』って帰ってしまったこともあったな。顔を真っ赤にして口を利かなくなるんですよ。当時は、翌日になったら引きずることなく、ケロッとしていましたが……」
谷本容疑者が長男への殺人未遂事件で服役することになったのは、この工場を2回目に退職した翌年だ。出所後の詳細は分かっていないが、親族から離れ、約8年勤めた工場も辞め、事件によって家族も完全に失っている。孤独感はさらに増していただろう。
「事件が起きてしまったクリニックは、診断書を書いてもらいやすいという評判もあってトラブルも多かったようです。現に、亡くなった西澤院長から事件前に相談を受けた父親が、警察に相談をしていたという情報もあります」(前出・大手紙社会部記者)
心療内科や精神科が出す診断書には、生活保護の申請などさまざまな用途がある。ある病院の関係者によると、内容などをめぐり病院側と患者の間でトラブルになることが近年増えているといい、今回の放火事件の動機が注目されている。
25人もの命を奪った大放火事件。残酷な犯行に及んだ谷本容疑者の意識は、いまだ戻らないという。